人の心に灯をともす 6166 よく生き、よく死ぬ

【よく生き、よく死ぬ】6166


曹洞宗徳雄山建功寺住職、枡野俊明氏の心に響く言葉より…


《我欲や執着、妄想を手放す》


両親を送ったとき、自分の死を現実のものとして考え始める人が多いように思います。

それも、男性の場合は父親の死が、女性では母親の死がきっかけになる。

父親(母親)の没年までは自分も生きられるだろう、あるいは、その歳までは生きていたい、生きていこう、という漠然とした思いがあるということなのでしょう。


死について考えることは、それまでの時間をどう生きるかを考えることでもあります。

生死は表裏一体、コインの裏表です。


道元禅師が記した『正法眼蔵』の要点を抜粋してまとめた『修証義』とい う経典の冒頭に、生死について触れている次の文言があります。

「生(しょう)を明(あき)らめ、死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり」


生とはなにかを明らかにし、死とはなにかを明らかにすることは、仏教徒として最大の課題である、ということです。

その最大の課題に取り組みつづけていくことが、禅の修行であるともいえるのです。


この答えは、それぞれが出していかなければならないわけですが、ひとついえることは、「よく生きる」ことと「よく死ぬ」ことは不可分である、ということでしょう。

“よく”という言葉は抽象的ですが、わたしは、誰のなかにもある仏性(ぶっしょう)という、一点のくもりもない、清らかな心に気づき、一歩、一歩、それに近づいて いくことだ、と思っています。

もう少し具体的にいえば、我欲や執着、妄想といった「煩悩」を削ぎ落としていくこと、手放すこと、といってもいいでしょう。


『人生は、瞬間の積み重ね』PHP文庫
https://q.bmd.jp/91/119/9495/__no__




小林正観さんは「人生のシナリオ」についてこう述べている。


『私たちの人生はもう決まっているようなのです。

「こういうことをやるためにこの世に生まれてきた」ということが、自らのシナリオによって決められているようです。

その流れなり、シナリオなりが、読み取れる人もいますが、読み取れない人もいます。

「読み取れない人」には共通項があります。

それは、「好きなことはやりますが、嫌いなことはやりません」 「夢や希望のためには努力を惜しみませんが、それ以外はしません」という意味で「自我」がものすごく強い人です。

反対に、「流れが読み取れる人」というのは、そうした「自我」がほとんどない人です。

「いつでもやるはめになったことはやります。

自分がやらなくてはいけないような状況になったら笑顔でやります」と、「おまかせ」ができる人です。

「おまかせ」をしていない人はほとんど流れが見えてこず、「おまかせ」をしている人は流れがよく見えてくるのです。』(運命好転十二条/知的生きかた文庫)より



良寛和尚は、

「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候(そうろう)。

死ぬ時節には、死ぬがよく候。是は災難を逃れる妙法にて候」

と言った。


まさに、死も人生のシナリオに織り込まれているということだ。

「よく生き、よく死ぬ」ことは、「ああだ、こうだ」言わずに、「おまかせ」で生きること。


好きなことも、嫌いなことも、災難も、死も、「ああ、そうきましたか」「これがシナリオなんだな」と淡々と「おまかせ」で生きることができる人でありたい。



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