人の心に灯をともす 3762 「才能」がある人は洞察力がある

【「才能」がある人は洞察力がある】3762



坪田信貴氏の心に響く言葉より…


鹿島神流第十八代宗家である剣術の達人であり、最後の剣豪とも言われている、國井善弥(くにいぜんや)という人がいます。

相手の望む条件での他流試合を受けながらも、生涯不敗であったと言われています。

現代の宮本武蔵ということで、“今武蔵”“昭和の武蔵”とも呼ばれています。

彼は、戦後、GHQから提案された試合(銃剣を持ったアメリカ兵との一騎打ち)に一瞬で勝利して、当時禁止されていた剣道・柔道・弓道などの日本の武道を復活させた立役者でもあります。


この國井善弥の師匠が、新陰流免許皆伝の佐々木正之進。

若き日の國井は、この師匠に練習をつけてもらうため、住み込みで弟子入りしました。

しかし内弟子としての最初の数ヶ月は、ひたすら師匠の雑用をやらされたそうです。

あれを持ってこい、これ持ってこい、あれやれこれやれと言われ続けるばかりで、剣術の修行は一切つけてもらえない。


そうして3か月ほど過ぎ、このままでは単に雑用係でしかない、と思い始めます。

剣術の稽古をしてほしくて弟子入りしたのに、朝から晩まで師匠の身の回りのお世話で1日が終わってしまうのですから仕方のないこと。

しかも、その師匠の言い付け方にも不満がありました。

「それ」とか「あれ」といった言葉で、曖昧な指示しか出してくれなかったのだとか。

これでは具体的に何を求められているのかが、わからない。


半年くらい経った時点で、こんなことをやっていても意味がない、このままでは自分の人生の貴重な時間を無駄にしてしまう、と思い至り、夜中にこっそり逃げることにしました。

しかし、師匠に見抜かれます。

そして「やはりそうか。何をしようとしているんだ」と言われます。

國井としては逃げようとしていたとは言えず、口ごもっていたら、道場に連れて行かれます。


國井は、もはや何をされても仕方ないと覚悟しました。

すると師匠が白線を1本、すーっと引いた。

そして「この上に立て」と促され、木刀を渡される。

さらに師匠は、自分で自分に目隠しをしたんです。

そして白線の上に立って、木刀を手にして構え、こう言いました。


「思い切って打ってこい。自分は攻撃をしない」

いくら師匠とはいえ、目隠しをしている人を相手にする以上、どう考えてもこちら有利、思い切り打ったら、師匠に怪我をさせてしまう。

逡巡する國井の気持ちを見抜いたのか、さらに言います。

「怪我をさせてしまうと思っているのかもしれないが大丈夫だ。とにかく全力で打ってこい」と。


もはやこれはやるしかない。

國井は目をぎゅっと瞑り、エイヤ!と声を上げて打ちに行きます。

しかし、打ったはずの瞬間に目を開けたら、目の前には誰もいない。

ハッと気づくと、相対していたはずの師匠が國井の真後ろにいました。

目隠しをしていた師匠が、いつの間にか後ろにいて、そればかりか、國井の後頭部で木刀を寸止めしている。


このとき師匠はこう言ったそうです。

「雑用をさせられてばかりで、お前は何も教えてもらっていないと思っていたのかもしれないが、私が教えていたのはこれだ」と。

でも、またまた國井には、師匠が何を言っているのかわからなかった…。


さて、師匠が伝えたかったことは何でしょうか。

師匠は、“わかりにくい言葉で”“無駄に”雑用を申し付けていたわけではなかった、「お前に足りないのは洞察力だ」ということを伝えたかったのだ、と言われています。

つまり、「『心眼』の獲得のためだった」と。


剣術というのは洞察力が大事です。

相手が右へ動こうとしているのか、それとも左か、打ち込みたいと考えているのか、何かを仕掛けようとしているのか…。

そういったことを瞬時に察知し、相手の隙を突かないと、やられてしまう。

使う木刀が“真剣”であれば、斬られることはすなわち命を奪われること。


そう考えると、これまで「ただの雑用だと思っていたこと」に、ちゃんとした意味があることがわかってきます。

師匠が朝起きて縁側に座ったとき、何を求めているのか?

「あれを持て」と言われたときの「あれ」とは何か?

新聞だろうか?と考えるわけです。

そして新聞を読むのであればメガネがいるだろう、お茶でも飲みながら読みたいだろう、と想像力、洞察力を働かせる。

國井が何ヶ月も「雑用だと思っていたこと」は、実は、洞察力を磨くための訓練だったのです。


自分が師匠から言い付けられていることはただの雑用だと思い込み、その背後にある意味もわからずに、自分の頭で考えることもなくぽーっと指示待ちをしているだけであれば、剣術を身につけるための第一歩さえも踏み出せていない、ということ。


『才能の正体』幻冬舎




坪田氏は本書の中で「才能」についてこう語る。

『相手が何を求めているのか?

これを想像し、洞察し、察知することは、勉強にもビジネスにも必要最低限のこと。

ビジネスでも、取引先や顧客が何を求めているかを考え、「相手が欲しいもの」を提示することが基本です。

相手や市場のニーズを察することのできる人が、ビジネスでも成功する。

それが実際はどういうことかというと、相手の次の動きを想像できるくらい、観察・洞察・想像することです。

そして、そこまでして、相手の思考や行動を見抜けるようになる人のことを、いわゆる「才能がある」と言うべきなのではないかな、と僕は思います。

才能がある人というのは「結果」を出せる人です。

結果はどういう人が出せるのか。

洞察力がある人に他なりません。

洞察力とは、物事を深く鋭く観察し、その本質や奥底にあるものを見抜くことであり、観察しただけでは見えないものを直観的に見抜いて判断する能力のことです。』


洞察力や想像力のある人は、「カンが働く人」「先の読める人」「察しが良い人」「センスのいい人」「ひらめきのある人」。

反対に、洞察力や想像力のない人は、「カンの鈍い人」「先の読めない人」「察しの悪い人」「人の気持ちの分からない人」「空気の読めない人」「場の雰囲気が分からない人」。


仕事にしても、言われたことしかできない人、指示待ちの人、依存心の強い人、受け身の人は、洞察力や想像力を働かすことはできない。

つまり、先回りして考えることができないので、仕事がどんどん遅くなる。


『「才能」がある人は洞察力がある』

時代を生き抜く、洞察力を身につけたい。







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