人の心に灯をともす 3847 いつの時代でも変革は若者から始まった

【いつの時代でも変革は若者から始まった】3847



行徳哲男師の心に響く言葉より…


私は若者たちにこういう檄文(げきぶん)を書いて発破(はっぱ)をかけているんです。

「若者たちよ。

いつの時代でも変革は若者から始まった。

いつの時代でも、疑問、覚醒、憤怒は若き者の特権だ。

安寧(あんねい)、規制、常識は老いた者の繰り言にすぎない。

一つの組織が前例や慣習や秩序に縛られ固定化すると、いつか自家中毒を起こす。

そして停滞し、やがて崩壊に向かう。

組織は常に代謝と回転と改革を図らなければならない。

若者たちの血気は、現状を少しでも理想に近づけようとする若者の運動じゃないか」


それはまあ、大人たちにとっては我慢のならない青二才の行動としか見えないかもしれません。

しかし、この若者たちの運動を青臭いものとして諦観(ていかん)し、世の体制に身を委ねた時、その人間は若者の魂を悪魔に売り渡し、そして過去の人間になってしまうのです。


歴史というのは、青が老に取って代わることなんです。

それから、小が大に取って代わり、新が旧に取って代わることです。

いつの世も青二才たちが時代をひっくり返してきたんですから。


若者に失望したら国は衰えますよ。

世の大人たちは若者の粗(あら)探しをして、彼らを揶揄(やゆ)したがる癖がありますが、彼らと我々がどう違うかを考えるのではなくて、どこがどう同じなのかを探す努力をすべきだと思いますね。

若者と我々がどう同じかを探していくと、若者への失望はたちどころに消えていきます。


『いまこそ、感性は力』致知出版社




行徳哲男師は本書の中でこう語る。

『坂本龍馬は「自我狂」という字を好んで書きました。

吉田松陰は「諸君、狂いたまえ」と若者たちを鼓舞しました。

また「狂をなし愚をなすも 我れいずくんぞ憂えん 我れは我が志を行わんのみ」と詠った山形有朋は自らを「狂介」と称しました。

明治維新を起こしたのは、こうした狂った人間たちですよ。

ローマの哲学者セネカはこう言っています。

「人間にはもともと狂った部分がある。狂っている時が一番健全で正常なのである」

人間が最も不健全で異常な状態とは何かといえば、それは狂えないということですよ。

現代人は冷めてしかものを見ることができなくなっています。

だから狂えないし、不健全、不自然になってしまっている。

狂の中にいる時、人間は一番自分が自分に帰属しているんです。』


年を重ねると、人はだんだん、狂うことができなくなる。

世間体を気にしたり、メンツにこだわったりして、うわべだけを気にして、自分をさらけ出すことができなくなってくるからだ。

バカになること、愚になること、恥をかくことが、できなくなるということでもある。

「狂」とは、熱気や激情であり、パッションだ。

だからこそ、大人たちは、「狂」になれる若者がまぶしくて、妬(ねた)ましい。


「いつの時代でも変革は若者から始まった」

世の大人たちは…

若者との「違い」ではなく、どこがどう「同じ」かを探す必要がある。

そして、

変革をめざす若者たちを応援する大人でありたい。





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