人の心に灯をともす 5652 ゆるい場をつくろう!
【ゆるい場をつくろう!】5652
石山恒貴(のぶたか)氏の心に響く言葉より…
米国の社会学者であるレイ・オルデンバーグが第1の場所である家庭でもなく、第2の場所である職場でもない、とびきり居心地の良い第3の場所、サードプレイスを提唱したのは1980年代でした。
それから40年ほどが経過しようとしています。
そして今、日本ではゆるい場としてのサードプレイスが全国各地に次々と誕生しています。
時代は移り変わりましたが、サードプレイスの価値はむしろ高まっているのです。
では、今なぜサードプレイスが注目されるのでしょうか。
サードプレイスについて述べた書籍で特に注目された観点は2つあります。
第1は「ゆるさ」。
第2は「小さな物語」です。
従来型の地域コミュニティの代表例として自治会、町内会、消防団、PTAがありますが、それらの特徴は参加が義務的であることです。
他方、サードプレイスの特徴は「自発的」であることです。
本書では、強制されない自発性を「ゆるさ」と呼びたいと思います。
ゆるい場としてのサードプレイスには3つの型があります。
第1の型は、マイプレイス型です。
個人が自分1人の時間を楽しみ、それによって癒しと憩いを得ます。
典型例は、ドトールやスターバックスのようなコーヒーチェーンでしょう。
近年では、車中泊やテレワークにも対応できる軽自動車に乗って1人で過ごす状況もマイプレイス型に該当するとされています。
第2の型は、社交交流型で、もともとオルデンバーグが想定していたサードプレイスです。
典型例は、日本でいえば居酒屋です。
オルデンバーグはフランスのカフェやイギリスのパブを例としてあげていました。
第3の型は、目的交流型で、オルデンバーグの概念を拡張した新しい型の場です。
典型例としては、地域のNPO、コワーキングスペース、シェア図書館、本屋、コミュニティカフェなどが該当します。
その場にはなんらかの目的が存在するのですが、参加者の動機は自発的なもので、強制されない自発性(ゆるさ)に該当します。
あくまでも参加者同士が交流して楽しむ場なのです。
その楽しさがあるからこそ、目的交流型はサードプレイスの拡張版に位置づけられるのです。
また、2つめの「小さな物語」についてですが、従来の日本では「大きな物語」という考え方が支配的であったように思います。
大きな物語とは、多くの人々が同じ物語の重要性を信じ、その目的達成のためにみんなが同じように努力するような状況に該当します。
みんなが自分の属する国、組織、地域のために自己犠牲を厭わずに尽くすわけです。
その場合に重視されることは、大きな集団における「やるべきこと」です。
結果として個人の「やりたいこと」は重視されません。
大きな集団のやるべきことを達成するために、個人のやりたいことは邪魔であり、わがままとみなされることになります。
ところが小さな物語では、個人のやりたいことが起点になります。
やりたいことはなんでもいいのです。
個人が自分の趣味・関心・強みに基づき、社会や地域で取り組んでみたい「何か」なのです。
そして、それは楽しいことです。
楽しいからこそ、個人はそれに取り組んでいくのです。
そしてそのやりたいことに共感した他者が、その場に集まってくることになります。
このように小さな物語の特徴とは、各人が自分の楽しさを大切にしていることにあるのです。
自分のやりたいことを楽しみながら追求しただけなのです。
しかしそのやりたいことは他者の共感を生み、ゆるい場として多くの人々が参加します。
結果として、その小さな物語は社会や地域の貢献にもつながっていくのです。
この大きな物語から小さな物語への変化は、集中から分散への変化と位置づけることもできるでしょう。
集中から分散への変化は、大都市と地方という対比だけにとどまりません。
複雑化する現代社会では、中央がすべてを制御できるという世界観に、かなり無理があります。
中央が制御するという考え方を、草の根的な個人のやりたいことの創発が社会と地域にとって望ましいものだという考え方へと転換していく必要があるのではないでしょうか。
こうした集中から分散へという考え方の転換が、小さな物語の背景には存在しているのです。
『ゆるい場をつくる人々』学芸出版社
https://q.bmd.jp/91/119/469/__no__
従来型の多くのコミュニティは都市部や人口減少地区(過疎地)ではほぼなくなりつつある。
それは、自治会、町内会、婦人会、青年団、子ども会などの地縁団体だ。
また、地方の中堅都市においてもその傾向は徐々にでてきている。
それは意識の変化によるものも多い。
たとえば、「プライバシー意識の高まり」「地域への愛着の低下」「帰属意識の低下」そして「価値観の多様化」等々による、隣近所とのつきあいを避ける傾向だ。
特に、マンションに住む人が多くなるとこの傾向は一層強まる。
また、人口減少に端を発した市町村合併によるコミュニティに与える影響もある。
行政範囲が大きくなれば、おのずとその関わりは希薄になるからだ。
かつては、行政主導で、従来コミュニティを活性化するために、多くのコミュニティセンターや公民館などが増設された。
しかし、それらが現在、老朽化し、人口減少もあいまって、次々と閉鎖されている。
建て替えには莫大な費用がかかるからだ。
そこで代わって登場したのが、「目的交流型」のサードプレイスだ。
上からのお仕着せではない、自発的で強制されない「ゆるさ」を持ったコミュニティだ。
この目的交流型には様々な変化形がある。
「コワーキングスペース」「コラーニングスペース」「みんなの図書館」「みんなの公民館」「人と農を結ぶ場づくり」「楽しく備える防災の集まり」「里山のコミュニティ」「医療とゆるくつながる“医カフェ”」等々。
これからの時代に大事なことは、行政がなにもやってくれないと、嘆いたり、文句を言うことではない。
自らが自発的に小さなコミュニティをつくることだ。
それは、目的を持った人々が楽しくなる場、共感したり、笑ったり、ホンネを話したりできる場だ。
その場が結果として社会や地域への貢献となる。
それが、居心地のいい場、「サードプレイス」。
「ゆるい場」がどんどんできる地域でありたい。
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石山恒貴(のぶたか)氏の心に響く言葉より…
米国の社会学者であるレイ・オルデンバーグが第1の場所である家庭でもなく、第2の場所である職場でもない、とびきり居心地の良い第3の場所、サードプレイスを提唱したのは1980年代でした。
それから40年ほどが経過しようとしています。
そして今、日本ではゆるい場としてのサードプレイスが全国各地に次々と誕生しています。
時代は移り変わりましたが、サードプレイスの価値はむしろ高まっているのです。
では、今なぜサードプレイスが注目されるのでしょうか。
サードプレイスについて述べた書籍で特に注目された観点は2つあります。
第1は「ゆるさ」。
第2は「小さな物語」です。
従来型の地域コミュニティの代表例として自治会、町内会、消防団、PTAがありますが、それらの特徴は参加が義務的であることです。
他方、サードプレイスの特徴は「自発的」であることです。
本書では、強制されない自発性を「ゆるさ」と呼びたいと思います。
ゆるい場としてのサードプレイスには3つの型があります。
第1の型は、マイプレイス型です。
個人が自分1人の時間を楽しみ、それによって癒しと憩いを得ます。
典型例は、ドトールやスターバックスのようなコーヒーチェーンでしょう。
近年では、車中泊やテレワークにも対応できる軽自動車に乗って1人で過ごす状況もマイプレイス型に該当するとされています。
第2の型は、社交交流型で、もともとオルデンバーグが想定していたサードプレイスです。
典型例は、日本でいえば居酒屋です。
オルデンバーグはフランスのカフェやイギリスのパブを例としてあげていました。
第3の型は、目的交流型で、オルデンバーグの概念を拡張した新しい型の場です。
典型例としては、地域のNPO、コワーキングスペース、シェア図書館、本屋、コミュニティカフェなどが該当します。
その場にはなんらかの目的が存在するのですが、参加者の動機は自発的なもので、強制されない自発性(ゆるさ)に該当します。
あくまでも参加者同士が交流して楽しむ場なのです。
その楽しさがあるからこそ、目的交流型はサードプレイスの拡張版に位置づけられるのです。
また、2つめの「小さな物語」についてですが、従来の日本では「大きな物語」という考え方が支配的であったように思います。
大きな物語とは、多くの人々が同じ物語の重要性を信じ、その目的達成のためにみんなが同じように努力するような状況に該当します。
みんなが自分の属する国、組織、地域のために自己犠牲を厭わずに尽くすわけです。
その場合に重視されることは、大きな集団における「やるべきこと」です。
結果として個人の「やりたいこと」は重視されません。
大きな集団のやるべきことを達成するために、個人のやりたいことは邪魔であり、わがままとみなされることになります。
ところが小さな物語では、個人のやりたいことが起点になります。
やりたいことはなんでもいいのです。
個人が自分の趣味・関心・強みに基づき、社会や地域で取り組んでみたい「何か」なのです。
そして、それは楽しいことです。
楽しいからこそ、個人はそれに取り組んでいくのです。
そしてそのやりたいことに共感した他者が、その場に集まってくることになります。
このように小さな物語の特徴とは、各人が自分の楽しさを大切にしていることにあるのです。
自分のやりたいことを楽しみながら追求しただけなのです。
しかしそのやりたいことは他者の共感を生み、ゆるい場として多くの人々が参加します。
結果として、その小さな物語は社会や地域の貢献にもつながっていくのです。
この大きな物語から小さな物語への変化は、集中から分散への変化と位置づけることもできるでしょう。
集中から分散への変化は、大都市と地方という対比だけにとどまりません。
複雑化する現代社会では、中央がすべてを制御できるという世界観に、かなり無理があります。
中央が制御するという考え方を、草の根的な個人のやりたいことの創発が社会と地域にとって望ましいものだという考え方へと転換していく必要があるのではないでしょうか。
こうした集中から分散へという考え方の転換が、小さな物語の背景には存在しているのです。
『ゆるい場をつくる人々』学芸出版社
https://q.bmd.jp/91/119/469/__no__
従来型の多くのコミュニティは都市部や人口減少地区(過疎地)ではほぼなくなりつつある。
それは、自治会、町内会、婦人会、青年団、子ども会などの地縁団体だ。
また、地方の中堅都市においてもその傾向は徐々にでてきている。
それは意識の変化によるものも多い。
たとえば、「プライバシー意識の高まり」「地域への愛着の低下」「帰属意識の低下」そして「価値観の多様化」等々による、隣近所とのつきあいを避ける傾向だ。
特に、マンションに住む人が多くなるとこの傾向は一層強まる。
また、人口減少に端を発した市町村合併によるコミュニティに与える影響もある。
行政範囲が大きくなれば、おのずとその関わりは希薄になるからだ。
かつては、行政主導で、従来コミュニティを活性化するために、多くのコミュニティセンターや公民館などが増設された。
しかし、それらが現在、老朽化し、人口減少もあいまって、次々と閉鎖されている。
建て替えには莫大な費用がかかるからだ。
そこで代わって登場したのが、「目的交流型」のサードプレイスだ。
上からのお仕着せではない、自発的で強制されない「ゆるさ」を持ったコミュニティだ。
この目的交流型には様々な変化形がある。
「コワーキングスペース」「コラーニングスペース」「みんなの図書館」「みんなの公民館」「人と農を結ぶ場づくり」「楽しく備える防災の集まり」「里山のコミュニティ」「医療とゆるくつながる“医カフェ”」等々。
これからの時代に大事なことは、行政がなにもやってくれないと、嘆いたり、文句を言うことではない。
自らが自発的に小さなコミュニティをつくることだ。
それは、目的を持った人々が楽しくなる場、共感したり、笑ったり、ホンネを話したりできる場だ。
その場が結果として社会や地域への貢献となる。
それが、居心地のいい場、「サードプレイス」。
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