人の心に灯をともす 3175 春風を以て人に接する

【春風を以て人に接する】3175



ウシオ電機会長、牛尾治朗氏の心に響く言葉より


かつて、修業とか修養とかは精神的に豊かであるために、つまり人間が人間らしく暮らしていくために必然のものでした。

そうでなければ、ともすれば不足、不便がつきまとう暮らしに押しつぶされて、人間らしく生きられなかったからです。

だが、何もかもが満ち足りて便利になると、人間は自分を鍛えることを放棄してしまったように私には思えます。


自分の精神のありようがどうだろうと、物質的な豊かさや便利さが補いをつけてくれるからだと思われます。

少し持って回った言い方をすると、精神の物質化ということになります。


修業したり修養を積んだりして自分を鍛えることが疎かになると、自分を見つめることが少なくなりますから、人間はどうしても自分に甘くなります。

謙虚さが失われます。

その結果として、自分中心になりがちです。


自分に甘く、謙虚さがなく、自分中心の考え方をし、行動をとる。

最近、そういう傾向が強まっているのは、精神を物質化させ、それでよしとしている風潮と無関係ではないと思います。

残念ながら、政界や財界のリーダーと目される人びとにも、出処進退に関してそういうことが間々見られます。


「春風を以(もっ)て人に接し、秋霜(しゅうそう)を以て自ら粛(つつし)む」


これは江戸時代の儒者・佐藤一斉の『言志四録』に出てくる言葉です。

人に対するときは春風のように穏やかで和やかな心、伸びやかで寛大な心で接し、自分に対するときは秋の霜(しも)のように鋭く烈(はげ)しく厳しい心で律していかなければならない、という意です。


対人関係の基本にこの心がけを据えることができる人は、修業や修養によって自分を厳しく鍛えている人です。

だが、現実にはこの逆の人が増えているように思われます。

人には秋霜の心で接し、自分に春風の心で対する人です。

何か問題が起こると、その原因や責任は他人のせいにして、自分には関わりがないとばかり顔を拭ってやり過ごそうとする人が何と多いことか。

自分に対して春風の心でいるから、そうなるのではないでしょうか。


『わが人生に刻む30の言葉』致知出版社




「秋霜烈日(しゅうそうれつじつ)」という言葉がある。

これは、秋の冷たい霜や、夏の焼けつく激しい日差しのような、厳しい気候のことをいう。

刑罰や権威などが極めて厳しくおごそかであることを指す。

日本の検察官のバッジのデザインともなっている。


しかしながら、普段人と接するときは、これとは反対の言葉、「春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)」でなければならない。

春風駘蕩とは、春風がそよそよと気持よく吹くことをいい、温和で、のんびりとして、のどかな人柄をさす。


そして、自分に対しては「秋霜烈日」で厳しく律していく。

シビアな自己コントロールだ。

それを「自律」という。


「春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら粛む」

自らには厳しく、人には春風を以て接したい。







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