人の心に灯をともす 3587 王さまと仏教

【王さまと仏教】3587



ひろさちや氏の心に響く言葉より…


こんな仏教説話がある…。

狩猟を趣味とする王さまがいた。

政務のあいだをぬって、よく狩猟に出かける。

一方、この王さまは仏教の信心に厚い。

日ごろから仏教教団に布施し、しばしば聖地への巡礼もする。


この王さまを家臣たちは笑う。

仏教の禁じる殺生(せっしょう)をさんざんやっておいて、聖地巡拝(じゅんぱい)はおかしいではないか…というわけだ。

その家臣たちの声が王さまの耳に入った。


王さまは家臣を集めて話す。

「ここに大きな鍋があって、湯がぐらぐら沸きたっている。中に金塊が入っているが、おまえたちはその金塊を取り出せるか」

「できません。火傷(やけど)します」

「しかし、わしにはできる。どうするかといえば、冷水をそそいでやるといいのだ。そうすると、熱湯もさめて、手を入れても火傷をしない」


さらに王さまはつづける。

「わしは国王であって、武人である。狩猟は武人にとって大事な鍛錬だからやめるわけにはいかん。そこでわしは、罪をつくった熱湯をさますために、聖地への巡拝をするのだ」


わたしたちの職業も同じである。

われわれが職業に専念すればするほど、悪行をつくり、他人に迷惑をかけることが多い。

大事なことは、そのとき、生きていくためにはやむをえないと開き直らずに、素直に「すまない」と詫(わ)びる気持ちを持ち、反面において少しでも宗教心を持つことだ。

ほんの少しでも熱湯の温度を下げるようにすればいいのである。

そうすれば、「ほとけ心」という金塊が得られるであろう。


『捨てちゃえ、捨てちゃえ』PHP研究所





人は殺生はいけないと思いつつ、生きているものを殺(あや)め、それを食べる。

それは、植物であろうが動物であろうが、たくさんの命の犠牲の上に自分がいるということ。

それゆえ、生きていくことは矛盾の積み重ねだ。


その意味では、潔癖すぎる人は、生きずらい。

黒か白か、右か左かと極端に走りやすいからだ。

本当は、黒も白も、右も左も、という選択もある。

それは、殺生した食物を食べるとき、「ありがとう」「いただきます」と、自然の恵みに感謝する選択。


そしてさらに、そこで必要なのが、祓(はら)えだ。

神道においては、6月末に「夏越の祓え」という祭祀(さいし)があり、12月末には師走の大祓式がある。

半年の間に身についた罪や穢(けが)れを祓う。

祈りではなく、祓えなのだ。

すると、熱湯の温度が下がる。



稲盛和夫氏は、「相反する矛盾することを、平然とやってのけることができる人を名経営者という」と言った。

そして心の奥底に、『素直に「すまない」と詫びる気持ちを持つ』こと。


人は、年齢を重ねれば重ねるほど、あの世に近づいていく。

言い変えれば、神さまに近づいていく。

だからこそ…

ある程度の年齢からは、宗教心を持ったほうがいい。








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