人の心に灯をともす 3692 自分は何者でもない

【自分は何者でもない】3692



伊集院静氏の心に響く言葉より…


若い頃の旅と、或る程度、歳をとっての旅とは、勿論、違いがあるものの、いずれにしても、旅が人間に与えるものは限りがないほどさまざまなものがある。

私が若い人に、安いチケットを買って、まずは日本から出てみることだ、とすすめるのは、言葉も話せない、生活習慣、イデオロギーも違う異国で、一番の収穫は、

…自分が何者か?

を知ることができるからだ。


ではどういうことを知るかと言うと、

…自分はまだ何者でもない。

ということを知ることにつきる。


日本に住んでいる時は、親が守ってくれたり、家柄があったり、学校での成績が良かったり、とか当人は或る程度、何者である確信のようなものがあっても、それがまったく無意味であることがわかるのが、異国への旅のひとつの獲得できるものである。

では若い時だけに、

…自分は何者でもない。

という考えが必要なのか、と考えると、そうではない。


たとえば、六十歳を越えて、定年を迎えている人がいるとすれば、その人たちにも必要な考えなのである。

ここまで寿命が延び、日本人の六十歳から七十歳の人たちが、どのくらい元気で、バリバリ仕事も、遊びもできるのは、今や常識である。

ところが、現役時代に人一倍働き、仕事で成果を上げ、会社からも評価され、部下も育てたという人が、実は、潔く退職してから上手くいかなくなるケースが多い。


…えっ、あの部長が、今そんななんですか?

という例が多い。

その人が仕事を十分にやって来て、人望もあり、あとは退職金で悠々と暮らしているかと思うと、これが逆のケースが多い。

…なぜか?

再出発ができないのである。


別に、再出発でなくても、残る余生をうまく過ごせない。

再出発のケースなら、自分は半生でこれほどのことをやって来たという自覚が邪魔をするのである。

自分にふさわしい新しい仕事なり、時間の過ごし方に対して、対応ができないのである。


その原因の最大の要素は、

…自分はカクカクシカジカの者である。

と当人が考えているからである。

…自分は何者でもない。

という考えを持てないのだ。


しかしよくよく考えれば、それだけ素晴らしい仕事をした人、その仕事内容も、実は過去のものであり、メモリーはあっても、実感をともなうものではないのだ。

実は、この実感をともなうものこそが、生きている仕事、時間なのである。

…自分は何者でもない。

この考えがすんなり自分の体に入るようになることが大切なのである。

旅の話から、妙なことを書いたが、人生は晩年をどう過ごせるかで、当人の生きざま、死にざまが決まるケースが大半なのである。


『一度きりの人生だから 大人の男の遊び方』双葉社





「我々は遠くから来た。そして遠くまで行くのだ...」 という、イタリアのパルミーロ・トリアッティの言葉がある。

また、「我々はどこからきたのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」と題された、フランスの画家、ポール・ゴーギャンがタヒチで描いた大作もある。


どんなに財産があろうと、肩書や名声があろうと、死んでしまえば、それをあの世に持っていくことはできない。

そのことを、重要な節目節目に思い出せるかどうかで、人生は決まると言ってもいい。

「裸にて生まれて来たに何不足」

我々はもともと裸で生まれてきたのだ、と覚悟を決めれば何でもできる。


定年退職に限らず、人生を再出発させなければいけない時は、旅と同じだ。

見知らぬ土地、見知らぬ人、見知らぬ宿と出会い、「自分は何者でもない」と気づく。


一度きりの人生、覚悟を決めて生きてゆきたい。






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