人の心に灯をともす 3701 ニュータイプの時代

【ニュータイプの時代】3701



山口周氏の心に響く言葉より…


20世紀の後半から21世紀の初頭にかけて高く評価されてきた、従順で、論理的で、勤勉で、責任感の強い、いわゆる「優秀な人材」は、今後「オールドタイプ」として急速に価値を失っていくことになるでしょう。

一方、このようなオールドタイプに対置される、自由で、直観的で、わがままで、好奇心の強い人材=「ニュータイプ」が、今後は大きな価値を生み出し、評価され、本質的な意味での「豊かな人生」を送ることになるでしょう。

20世紀の後半から21世紀の前半まで、50年ほどのあいだ「望ましい」とされてきた思考・行動様式の多くは、今日、急速に時代遅れのものになりつつあります。


では、ニュータイプとはどのような人物像なのでしょうか。

例えばそれは、

(左)オールドタイプ→(右)ニュータイプ

1. 正解を探す → 問題を探す

2. 予測する → 構想する

3. KPIで管理する → 意味を与える

4. 生産性を上げる → 遊びを盛り込む

5. ルールに従う → 自らの道徳観に従う

6. 一つの組織に留まる → 組織間を越境する

7. 綿密に計画し実行する → とりあえず試す

8. 奪い、独占する → 与え、共有する

9. 経験に頼る → 学習能力に頼る


ご覧いただければわかる通り、このようなオールドタイプの思考・行動様式は、これまで長いこと一般的に「資本主義社会で成功する優秀な人物」と考えられてきた人材の要件です。

しかし、今まさに激しい変化の只中にある社会の構造やテクノロジーを踏まえれば、これらの思考・行動様式はアップデートされなければなりません。

ここでかつて礼賛された人材要件=オールドタイプが、なぜ新しい人材要件=ニュータイプにアップデートされなければならないか、大きく2つのポイントから、その理由を指摘しておきたいと思います。


1つ目のポイントは、オールドタイプの思考・行動様式が、「社会への価値創出」という観点から、すでに有効ではなくなりつつあるということです。

筆者は拙著『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』で、これまでオールドタイプの多くが依拠(いきょ)していた「論理とサイエンス」が、「モノが過剰になり、正解がコモディティ化していく」世界において有効性を失いつつあることを指摘した上で、今後は「美意識とアート」を武器にする新しい人材=ニュータイプが求められている、という主張をしましたが、これはまさに「価値創造」の源泉が「問題を解決し、モノを作り出す能力」から「問題を発見し、意味を創出する能力」へとシフトしていることを受けてのものでした。

いわゆる「優秀さ」は文脈依存的な概念であることに注意が必要です。

どのような時代にあっても、その時代において「望ましい」とされる人材の要件は、その時代に特有の社会システムやテクノロジーの要請によって規定されることになります。

これはつまり、世の中の要請に対して相対的に希少な能力や資源は「優秀さ」として高く評価され、逆に過剰な資質や能力は「凡庸さ」として叩き売られる、ということです。


したがって「モノ」が過剰になる一方で、「問題」が希少になっている現在の社会において求められる人材要件が、その真逆である「モノ」が希少で「問題」が過剰であった、かつての社会において求められる人材要件と大きく異なるのは当たり前のことなのです。

しかし、人間のマインドはとても保守的なので、多くの人は相も変わらず、偏差値に代表される「正解を出す能力」を、その人の「優秀さ」を示すモノサシだと信じていまだに崇め続けています。

この認識のネジレが、社会のさまざまな局面で悲劇と混乱を巻き起こしています。


さて次に、オールドタイプからニュータイプへのアップデートが必要だと指摘する2つ目の理由として挙げなければならないのが、これまで活躍していた人材=オールドタイプが発揮してきた思考・行動様式によって、資本主義というシステムが生み出す問題が拡大再生産されている、という点です。

たとえば現在、世界中の都市で「ゴミ」は深刻な問題になりつつありますが、これは「量的な向上」を無条件に是とするオールドタイプの思考・行動様式が生み出した結果といえます。

確かに、かつてのようにモノが不足している状況であれば、ひたすらに「量的な向上」を目指すというオールドタイプの行動様式は、時代の要請と整合していたかもしれません。

しかし、現在のようにモノが過剰に溢れている状態で、ひたすらに「量的な向上」を目指せば、すでに過剰にあるモノを次々にゴミにしていくしかありません。

こういった問題の原因を「資本主義というシステム」に求めて、これを何か別のシステムに切り替えることで解決しようということが、かつては考えられました。

1960年代に世界中で盛り上がりを見せた学生運動はその一つの例といえますが、結局のところ、これらの取り組みは、壮大な実験の結果、うまくいかないことが明らかになっています。


つまり、今の私たちを取り巻いている「システムの大きな問題」を解決するには、システムそのものをリプレースするのではなっく、システムそのものを微修正しながら、その中に組み込まれる人間の思考・行動様式大きく切り替えることが必要だということです。

ポスト構造主義の思想家ジャック・デリダは、「脱構築」というコンセプトを提唱し、システムの内部における主従関係を逆転させ、隷属的な立場に置かれていたものを肯定しなおすことで、システムそのものの解体を伴わずに、システムのもたらす豊かさを回復させる可能性について論じました。


私たちは人類史の中で初めて「問題が希少で解決策が過剰」という時代に突入しつつあります。

このような時代にあっては、ただ単に「問題解決能力が高い」というだけでは価値を生み出せません。

ビジネスは常に「問題の発見」と「問題の解決」が組み合わされることで成立します。

しかし、現在は「問題」そのものが希少になっているわけですから、ボトルネックは問題の「解決能力」ではなく「発見能力」に発生することになり、結果として問題解決者の価値が低減する一方で、問題発見者の価値が上昇することになります。

これが「望ましい思考・行動様式は、テクノロジーや社会構造という文脈によって相対的に決まる」ということです。


『ニュータイプの時代』ダイヤモンド社





山口氏は「問題の希少化」について本書でこう語る。

『「モノの過剰化」はまた、「問題の希少化」という事態を生み出すことになります。

モノが過剰に溢れかえる世界にあって、私たちは日常生活を送るにあたって、すでに目立った不満・不便・不安を感じることはなくなっています。

これはつまり、今日の日本ではすでに「問題が希少化」していることを示しています。』


だが、しかしながら世界に目を転じると、、国連サミットで採択された「持続可能な開発目標(SDGs)」にあるように、「貧困」「教育」「飢餓」「ジェンダー平等」「エネルギー」「気候変動」「海の豊かさ」等々、問題は山積しているし、次から次へと問題は増えていくように思える。

それでもなお、山口氏がいう「問題の希少化」は、豊かな時代を過ごす日本においては、よくある話だ。

その証拠に、昨今の世界のユニコーン企業、すなわち評価額10億ドル以上の非上場、設立10年以内のベンチャー企業の世界ランキングでは、中国とアメリカがほとんどを占めていて、日本国内のユニコーン企業は「メリカリ」一社のみとなっている。


ビジネスは新たな問題を発見しなければ、生まれない。

ウーバーにしてもタクシーのサービスに不満があったからこそ生まれたビジネスだ。

日本のタクシーも一昔前に比べたら、サービスは格段によくなっている。

だからこそ、日本にウーバーのビジネスを考え出す人がいなかった、ということだ。


ひるがえって考えてみると、日本はほとんどのサービスや製品について芸術品と呼ばれるくらいに、改良に改良を重ね、磨きがかけられることによって、不満がなくなってきている。

日本の得意技だ。


満足してしまったところに、新たなビジネスは生まれない。

「ニュータイプの時代」

自由で、直観的で、好奇心を強く持てる人を目指したい。






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