人の心に灯をともす 3808 人生という徒競走

【人生という徒競走】3808



北川八郎氏の心に響く言葉より…


秋の小学校の運動会の出来事でした。

熊本の田舎の小さな小学校の運動会はつい最近まで村の一大行事。

まだ朝早くから席取り行事がさかんで、大勢の村人が運動場をわんさと囲んでわが子の応援に熱をいれて大騒ぎです。

そんな中、五年生の男の子の徒競走がありました。

一人の男の子がダントツぶっちぎりの速さで一番でテープを切りました。

会場は盛り上がり、「ワー格好いい」と大拍手が起きました。


その後は小三の女の子が五~六人ずつ一組で走りました。

二つ目くらいのグループがスタートした時、一人の女の子がよたよたと走り、カーブで転んでしまいました。

膝をすりむいたようで、やっと立ち上がった時、手と膝から血が出ていました。


運動会の会場は応援の歓声がやみ「シーン」としてしまいました。

同じグループの子供たちはもうほとんどゴール近くまで走っています。

「どうするんだろう。走るか、やめるか…」と皆が固唾(かたず)をのんで見守っているのが感じられました。

女の子は立ち上がり、血のにじむすりむいた足をひきずりながら、そして泣きながらよたよた走り続けたのです。

途中、「がんがれ、よしこ!」と声がかかりました。


その子が足をひきずりゴール近くまで走ると会場は再び固唾をのんでシーンとしてしまいました。

一瞬、時が止まったあと、その子がゴールに倒れこんだ時、会場は拍手とどよめきと感激に大揺れになりました。

お母さんたちは感激して涙をふいている人もいました。

私は未だにこの二つのシーンが忘れられません。


私は思います。

人生もこれでいいんだ。

もちろん一番で格好良く走るのもいいでしょう。

でも神が望んでいるのは足が遅くても、ドンベでもいい…いきるのが下手でも誠実に「走りきる」ことなのだと思いました。

人々は一番で格好良く走ったシーンよりも、転び泣きながら人生を恥ずかしく思いながらでも、走り切った足の遅い子に大拍手と大応援をしたのです。


この子は観る者に勇気と力をくれました。

「ドンベでもいい、誠実に走り切ること(やり切ること)なのだ」という神の言葉を皆にもたらしたのです。

生きることは下手でもいい、傷つくこともある、でも目ざすものがあれば、失敗しても再び立ち上がればいい…やり続ければ世間は必ず応援します。


迷った時「最も困難な道を行け」という言葉があります。

それが一番の勉強になり、学びに近づく近道であるのは確かです。

私たちは近道にあるいろいろな欲に負けて失敗します。

しかし、その失敗で学んでいけばすべて「マルイチ」。


この世に「バツイチ」はないのです。

やり直せばすべてマルイチ、少し時間をかけて学びを入れて、欲で穴の開いた心の滑走路を埋めつつ、また飛び立ってください。

バツイチはない、「やり直せばすべてマルイチ」。

神の応援が必ずあります。


『繁栄の法則その二』致知出版社





人生という競争を、トップで駆け抜ける人がいる。

もちろん、それは格好いいし、名誉なことだし、メチャクチャに賞賛されることだ。

しかし、人生という競争を、何度も失敗し、挫折し、傷つき、泣きながらも、周回遅れのビリでゴールする人もいる。


それを神様という観客が見ていたら、トップも尊いが、倒れても倒れても立ち上がって、また走る人を最も称賛するだろう。

なぜなら、それは多くの我々凡人の手本となるからだ。

凡人にもできること、それが、倒れてもまた立ち上がって走ること。


何度倒れても、それでゲームオーバーではない。

走るのをあきらめたときが、本当のゲームオーバー。


人生という徒競走を転びながらも走り続けたい。






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