人の心に灯をともす 6138 私はかつての私ではない

【私はかつての私ではない】6138


古代ローマの詩人、ホラティウスの心に響く言葉より…

《私はかつてあった者ではない》

古代ローマの詩人クイントゥス・ホラティウス・フラックス(前65~前8)の言葉。



以前の私と今の私は違う、という意味の言葉である。

ラテン語の “non sum quails eram." は、アーネスト・ダウン というイギリスの19世紀末の詩人の詩の1つの題にもなっている。


漢文にも「呉下(ごか)の阿蒙(あもう)に非(あら)ず」という言葉がある。

これは後漢末期に呉の孫権(そんけん)の将軍になり、赤壁(せきへき)の戦いで戦功をあげるなど活躍した呂蒙(りょもう)のことを、孫権の参謀であった魯粛がいった言葉である。

勇敢だが教養のなかった呂蒙は孫権に諭されて勉学に励み、学問を身に付けた。


その呂蒙と話をした魯粛は感心して、「あれは呉にいたころの無学文盲の蒙ではない」といった。

それに答えて呂蒙がいったのが 「士別れて三日なれば、即ち当(まさ)に刮目(かつもく)して相待つべし」。

有為の人物とは、別れて三日経って会えば目をこすって見直さなければならないほど進歩しているものだ、という有名な言葉である。


『ローマの名言一日一言』致知出版社
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「呉下(ごか)の阿蒙(あもう)に非(あら)ず」の中の「阿蒙(あもう)」とは、「蒙(もう)くん」あるいは「蒙(もう)ちゃん」ではない、という意味。

もう、軽々しく「蒙(もう)くん」、などとは呼べなくなったという意味。

学びによって、人から「ナメられなくなった」ということだ。


論語の中に「後生(こうせい)畏(おそ)るべし」という言葉がある。

若い者は、将来我々より、すぐれた者にならないと、どうして断言できようか。


自己鍛錬し、己を高めようとコツコツ努力する者は、いつかとんでもない高みに到達する可能性がある。

学生時代、たいしたことのないヤツだと思っていた者が、気がつくとひとかどの人物になっていた、というのはよくある話だ。

だからこそ、まず、自分が勉学に励まなければならない。


人は、「学び」によって確実に進化し、変わっていく。

誰であっても、今日から学び始め、自分を磨けば、呂蒙(りょもう)のようになれる。

「忙しい」「時間がない」「もう年をとりすぎている」と言い訳を言ったところで、何も変わらない。


人は、いつからでも変われる。

小さな一歩を踏み出すこと。

そして、ナメられない自分をつくること。


「士別れて三日なれば、即ち当(まさ)に刮目(かつもく)して相待つべし」

「私はかつての私ではない」と言い切れる私でありたい。




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