人の心に灯をともす 3821 天才・たけしの老いと孤独と仕事の話

【天才・たけしの老いと孤独と仕事の話】3821



ビートたけし氏の心に響く言葉より…


とうとうオイラも71歳になっちまった。

「気にすんな、どうせジイサン先はない」

「赤信号、バアサン盾に渡りましょう」

ツービート時代、そんな漫才でよくジジイやババアをネタにしてたもんだ。

あの頃からもう40年以上経つ。

そのオイラが、今やすっかり老人の仲間入りだよ。


普通のヤツならこの辺で「一丁上がり」ってことで、人生のしまい方を考え始める頃だろう。

だけどオイラはそんな風には一度も考えたことがない。

この歳になってもなかなか忙しい毎日だよ。

レギュラー番組も変わらずジャンジャンやってるし。


いくらテレビの仕事があったったって、自分のやりたいことも我慢しちゃいけない。

夜中とか空いた時間には絵を描くし、小説のアイディアだってドンドン浮かんでくる。

もう本になってる『アナログ』や『ゴンちゃん、またね。』以外にも、色々と書き上げてるよ。

もちろん映画だって、これまでになかったようなスケールのデカいのを準備してるしね。


本業の「お笑い」の話だって、忘れちゃいない。

こないだから、ラップなんてものにも手を出しちまってさ。

やり始めると面白いんだよね。

韻を踏んでるのが楽しくて、次々ネタが湧いてくる。

どこかのライブで披露しちゃおうか、なんて思ってるね。


こうやって景気のいい話を並べていると、ビートたけしはいつまでもエネルギッシュで、悩みなんてないって風に見えるだろう。

もちろんそうありたいとは努力してるけど、オイラだって衰えるよ。

いわゆる「寄る年波」ってのは間違いなくある。

年相応の「さみしさ」ってのは感じてるぜ。


歳を取るってのは残酷だよな。

昔の自分と比べて、ドンドン不自由さが増していくのがよくわかる。

だから、多くの男たちは老いることに一抹の「さみしさ」を感じてしまう。

なぜ、自分の衰えがさみしくなるのか。

なぜ、老いを否定的にとらえてしまうのか。

それは、そもそも「老い」ってものに抗おうとしすぎているからじゃないか。


オイラは「いつまでも若々しくありたい」なんて願ったことはない。

「老い」を隠そうと思ったこともない。

昔より自由がきかなくなってきた体にちょっとイライラするのは事実だけど、老化という当たり前の自然現象と戦おうとしたって、勝ち目はないんだからさ。


だけど、「どう開き直るか」で老後ってのは変わってくる。

積極的に老いを認めて、都合の悪いことはなんでも歳のせいにする。

何か失敗しても、「ジジイなんだから仕方ない」と開き直る。

怒られたらボケたフリをしてしまう。

それでいいじゃねェか。


未練たらしいのはやめにしようぜ。

要するに自分の年齢にウソをついちゃいけないってことなんだ。

アンチエイジングなんて言葉が流行ってるけど、そんなの自分の歳が恥ずかしいと言っているようなもんでさ。

女が若さにしがみつくのはまだわかるけど、男が若さを振り返るのはとにかくカッコ悪いぜ。


よく言うんだけど、男はアンチエイジングより「エイジング」じゃないか。

ウィスキーだって、エイジングを重ねて上物になるんでね、そう考えりゃ、何も怖いことはない。

歳を取ったのを上手く利用して、世間の目なんて気にせず、自分がいいと思ったことをドンドンやれるようになるし、言えるようになるんじゃないか。

オイラがいまだにいろんなところでバカをやったり、週刊誌でヒンシュク覚悟の毒舌や下ネタを披露しているのは、そういう「自分の芯」みたいなものをなくしたくない、枯れるまで大事に持っていたいって気持ちがあるんだよ。


『「さみしさ」の研究』小学館新書





ビートたけし氏は本書の中でこんな風に語っている。


『人間はどんなに頑張ったって「他人から認められたい」という承認欲求を完全には捨て去れないということだ。

オイラみたいに、ずっと「客前」で仕事をしてきた人間にはよくわかる。

この歳になったって、「客からウケる」っていうのはこれ以上ない快感だからね。

カネや名誉なんて後からついてきたもので、まずは「ウケたい」「評価されたい」って感情があったわけだ。

だからこそ、オイラは今でもときどき「ほぼ単独ライブ」なんてものを開いて生の観客の前でバカをやっているし、落語の高座にも上がっている。

ウケるってのは麻薬みたいなもんだ。

もちろんそういう笑いのネタを考えたり、絵を描いたり、小説を書いたりなんている創作の時間ってのは、とても孤独な時間だ。

誰かに助けてもらえるもんじゃないからね。

だけど、その先に「他人にウケたい」って目的があるから、孤独な作業にも耐えられるし、楽しくなるってのが事実なんだよな。

そういう話を取っ払って、ただ闇雲に「孤独」をありがたがるから、話がおかしなことになる。

完全に独りでいてもさみしくないなんて、どんな悟りを開いたって無理だよ。』


人は、いくつになっても、人から認められたい生き物だ。

相手を認めることを心理学の「TA(交流分析)」では「ストローク」というが、具体的には「身体的」「言語的」「精神的」のストロークがある。

身体的ストロークには、ハグする、握手する、なでる、さする、拍手する、バンザイする、抱きしめる、キスするなどだ。

言語的メッセージには、ほめる、感謝する、楽しい、嬉しい、幸せだ、といった相手を認める言葉がある。

精神的なストロークには、笑顔などの表情や、動作、態度、声の調子などの非言語メッセージがある。


反対に、相手を認めない行為を「ディスカウント」という。

相手を、バカにしたり、軽く見たり、否定したり、無視したりすること、たとえば「もう来るな!」「やめちまえ!」「だからダメなんだ!」「何年やってるんだ!」「おまえには無理!」「もういなくたっていい!」「バカヤロウ!」「死ね!」と言ったりするようなことだ。

昨今の、子どもや大人のいじめには、このディスカウントが必ずある。


いくつになっても、「人から必要とされる人」、「人を楽しませることができる人」でありたい。





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