人の心に灯をともす 6139 陽転思考とは

【陽転思考とは】6139



無能唱元氏の心に響く言葉より…



結局、法といい、術というも、そのつづまるところは「己に打ち克(か)つ」ということになりましょう。

自分に相対するものに勝つための技として、その法術は磨かるべきですが、そのためにはまず、自分の中にある自分を支配せねばならないのです。


中国古典に説かれた幾多の帝王学も、究極的には、この一点「克己」にこそ集約されるものと思えるのです。

本書で述べられた人蕩術も正にこれらとその真義を等しくするものです。

すなわち、「他を支配せんとすれば、まず己れ自身を支配すべし」の原理に基づいております。


しかし、ここで考え違いしてほしくないのは、私の説く「克己」には、忍耐とか我慢のような、いわば緊張感をもって行なわれるべきものではない、という一点であります。

それはまた、生命エネルギーを全開にした、歯をくいしばっての大努力というものでもありません。

つまり、そこには悲壮感などという雰囲気は微塵もないのです。


これらの克己を「秋霜烈日(しゅうそうれつじつ)」に例えるならば、私のいうそれは「春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)」の内に行なわれるものです。

それは一切を「遊戯三昧(ゆげざんまい」にしてしまう、楽しい遊び心の現われであります。

人生を、自分の人生をおもしろいものにしてしまう、これをもって「陽転思考」と申します。


前記の忍耐を伴う克己には、陰気の影があります。

それは太陽光の恵みをさえ切る暗い雲です。

この黒雲をからりと払って、一切を楽しく明るく見ることが「陽転思考」であります。


ともすれば、人間という生物は、自動的に暗く悲観的になるものです。

しかし、また、人間は常に無意識の内に「陽の当たる場所」を求め続けている向光性の生物でもあるのです。


だから、人々は、人蕩術をよく使うあなたに魅きつけられるのです。

なぜならば、人蕩術とは、まず、己れ自身を明るく暖かにする術をもって始まるからであります。


『人蕩術奥儀』致知出版
https://q.bmd.jp/91/119/8684/__no__





「克己」を「遊戯三昧(ゆげざんまい」にしてしまう、つまりゲームのように楽しむことだ。

そのことを「陽転思考」という。


ゲームの本質は、「困難があるから面白い」「思い通りにいかないから夢中になる」「うまくいかないから、またもう一度やりたくなる」。


だから、簡単なゲームはすぐに飽きられてしまう。

そして、次々と難易度の高いゲームを求めるようになる。


大事なことは、ゲームだから失敗しても何回も挑戦できるということ。

つまり、うまくいかないからこそ「楽しい」と、考えを「陽」に転じること。


禅では、「人生は遊戯三昧(ゆげざんまい)をもって生きよ」と説く。

これは、「人生そのものを、ゲームとして、それを楽しめ」と言うこと。


克己も、面倒なことも、嫌なことも、遊戯三昧として遊び心で楽しんでしまう。

「陽転思考」とは、一切を楽しく明るく見ること。