人の心に灯をともす 6049 置かれた場所で、最大最善の努力をする

【置かれた場所で、最大最善の努力をする】6049



藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…


「二宮尊徳一日一言」がこのほど、寺田一清氏の編により上梓(じょうし)された。

人生の辛酸をなめた尊徳だが、この人で特筆すべきは、体制や権威に 批判や不満を口にせず、与えられた現実を受け入れ、その現実を少しで も高めるべく、最大最善の努力をしたということである。


この事実をかみしめる時、「わが道は至誠と実行のみ」という尊徳の言葉はずしりと肚に響く。

「その位(くらい)に素(そ)して行い外(ほか)を願わず」

中国古典『中庸』はいう。


人にはそれぞれ与えられた立場がある。

その立場の中で他の立場を羨(うらや)んだり妬(ねた)んだりせず、誠心誠意、全力を尽く せ、という教えである。

与えられた条件の中で、運命を呪わず、不平不満を言わず、いま自分にできる最善の努力をする・・・運命を切りひらく鍵はそこにある。


『小さな人生論 3』致知出版社
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渡辺和子氏の著書、『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎)の中にこんな文章があった。


『自信を喪失し、修道院を出ようかとまで思いつめた私に、一人の宣教師が一つの短い英語の詩を渡してくれました。

その詩の冒頭の一行、それが「置かれたところで咲きなさい」という言葉だったのです。

岡山という土地に置かれ、学長という風当たりの強い立場に置かれ、四苦八苦している私を見るに見かねて、くださったのでしょう。


私は変わりました。

そうだ。

置かれた場に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸せになったりしては、私は環境の奴隷でしかない。

人間と生まれたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり自分の花を咲かせよう、と決心することができました。

それは「私が変わる」ことによってのみ可能でした。

いただいた詩は、「置かれたところで咲きなさい」の後に続けて、こう書かれていました。

「咲くということは、仕方ないと諦めることではありません。

それは自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人々も幸せにすることによって、神が、あなたをここにお植えになったのは間違いでなかったと、証明することなのです」』



自分の人生がどうにも、思い通りにいかないとき、我々は、つい、他人や環境のせいにしてしまう。

SNSなどの投稿でも、他人を平気で非難し、バカにする。

では、その批判の矢印が自分に返ってきたときはどうだろう。


「そんなに上から目線で批判してますが、では、あなただったらどうしますか?」と。

そして、今置かれている自分の場所で、何をしているのか。


「置かれた場所で、最大最善の努力をする」という言葉を胸に刻みたい。




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