人の心に灯をともす 4074 仮想空間シフト

【仮想空間シフト】4074



山口周氏の心に響く言葉より…


1973年1月23日、アイスランド沖のヴェストマン諸島に属するヘイマエイ島で突然に火山の噴火が起きました。

幸いにして島の住民のほとんどは無事に救出されますが、その後、噴火は5ヶ月の長きにわたって続き、島民の3分の1が家屋を失うことになりました。


溶岩流に飲み込まれる、あるいは火山礫(れき)や火山灰に埋もれるなどして失われた家屋を再建するには莫大な費用がかかります。

不幸にも家屋を失った人々は別の住居を再建することを余儀なくされたのです。


溶岩流に家屋が飲み込まれたり、火山礫に家屋が破壊されたりするのは純粋に確率の問題です。

これはつまり、この噴火によって家を失った人と、家を失わずにすんだ人とのあいだに何らかの能力的・資質的な違いがあったわけではなく、ただ単に「運の良し悪し」という違いしかなかった、ということです。

最終的に、家を失った人には政府から補助金が支給され、それで島の別の場所に家を建ててもいいし、どこか別の場所に移住しても良いとされました。


ヘイマエイ島は長らく漁業で栄えた島です。

家屋を失った島民のほとんどは先祖代々、家業として漁業を営んできた家に生まれ、本人もまた漁業者として人生を送ることを当たり前の前提として噴火の直前まで生きていました。

そんな彼らが「噴火によって家を失う」という契機によって、「自分はこの先、どう生きるのか」という問いに向き合わざるを得なくなったのです。

そして最終的に、噴火によって家屋を失った人の42%が、島を出て、漁業という先祖伝来の仕事を捨て、別の人生を生きることを決断しました。


さて、興味深いのはここからです。

アイスランドは非常に小さな国ですが住民の統計が極めて正確に記録されており、納税その他の記録を使うことで、このときヘイマエイ島に居住(きょじゅう)していた人々が、その後、どのような人生を送ったかを精密にトレースすることができます。

そして、このような契機が、個人の人生にどのような影響を与えるかを調べた研究者は、家を失って島を出ることを決断した人々の生涯収入が、島に残った人々のそれを大幅に上回っているということを明らかにしました。


要因の仮説はさまざまに立てることができます。

例えば島を出たことで大学進学の確率が上がったのではないか、あるいは漁業以上に適正のある仕事を見つけられたのではないか等々。

しかし、どれもこれもすべて噴火という「短期的には不幸な契機」によって、「この後、自分はどのようにして生きていくのか」という問いにしっかりと向き合わざるを得なくなった、という唯一の根本原因によっているのです。

彼らのほとんどは、噴火によって家を失うということがなければ、島に住み続け、彼らの先祖と同じように漁師としての人生を全うして人生を終えたでしょう。


そしてさらに、この研究が明らかにした別の興味深い点があります。

それは、幸運なことに噴火によって「家を失わなかった人」の27%も、補助金をもらわずに島を出るという決断をし、そしてこの人々も、島に残った人々に比べて最終的にはより豊かな人生を送った、ということです。

この人たちがなぜ、家を失わないまま、先祖伝来の職業を捨て、島を出て新しい世界で生きるという、大きなリスクを背負う決断をしたのか、それはわかりません。
おそらく本人にも答えられないでしょう。


ただ、確実に言えることは、噴火というきっかけによって彼らが「この先、自分はどのようにして生きていくのだ、これまでの人生を続けて、それでいいのだろうか」という問いにしっかりと向き合い、おそらくほとんどのケースは直感的に「それは違う」という判断を下した、ということです。

社会経済学者の世界ではよく知られるこのケースは、アフターコロナをどう生きていくのかを考えなければならない現在の私たちに、深い示唆を与えてくれると思います。

私たちが直面しているコロナの危機は、ヘイマエイ島の噴火と同じく、短期的には不幸なインシデントでしかありません。

そしてヘイマエイ島の住民と同じく、インシデントがもたらす「負のインパクト」は人によって大きな差があります。

隣同士の家の片方が火山礫(れき)によって粉々に砕かれた一方で、もう片方は傷ひとつない、といったことが起きたのと同じように、コロナによってある企業は破綻に追い込まれた一方で、ある企業は逆に売上や利益が改善するということが、すでに世界中で起きています。

急速に進行する予測不可能なパニックによる影響ですから両者を分かつのは経営力でも現場力でもない、つまるところ「運」としか言いようがないものでしょう。

そして、それぞれの内部にいる人々は、いままさに「運が悪かった」あるいは「運がよかった」と一喜一憂し、そして一刻も早く、ふたたび穏やかな「日常」が回復することを望んでいます。


しかし、私たちは本当に「かつての日常の完全な回復」などを望んでいるのでしょうか。

私たちの社会、あるいは私たち一人一人の人生に、何の問題もないと自信を持って答えられる人はこの世界に1人もいないでしょう。

であれば私たちは、まさにヘイマェイ島から出るという決断を下した人々が、噴火後に「自分はこれからどう生きていくのだろうか」と考えたのと同じように、「これからどのような社会を築いていくのか、これからどのように生きていくのか」という問いに向き合わなければならないのではないでしょうか。

このカオスに怖気(おじけ)づいてひたすら「日常性の回復」を求めるか、このカオスに乗じて人生の再設計を図るかは最終的にみなさん次第です。


噴火後も島に残った人にとって、噴火は単に忌まわしい出来事でしかないでしょう。

しかし、噴火後に島を出た人にとって、噴火は、自分の人生が持っている豊かな可能性に気づかせてくれたきっかけという意味を持っているでしょう。

彼らが抱く「噴火の意味」の違いは、「噴火前の人生」によってではなく「噴火後」の生き方によって生まれています。

つまり「未来によって過去が変わった」ということです。

「過去」は「これからをどのように生きるか」次第でいくらでも変えられる、ということです。


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尾原和啓氏は本書の「はじめに」の言葉にこう書いてある。


『仮想空間シフトの波が押し寄せる中で、それをうまく利用した中国はさまざまなビジネスが急速に拡大・進化しています。

そして、今はまだ仮想空間シフトの速度がゆるやかな日本も、すぐにそうなるだろうということを書き記しました。

そして、2020年、期せずしてコロナ禍により我々の生活は一変しました。

日本においては、緊急事態宣言下の約2か月感、仕事も飲み会も仮想空間で行う生活が半ば強制的に訪れました。

アフターデジタルの世界を子どもから高齢者まで国民全員が経験したことで、同書は今も売れ続けています。

しかし、この新たな生活様式が与える影響は、ビジネスシーンだけにとどまるものではありません。

緊急事態宣言下においては仕事だけでなく、遊びやコミュニケーションの場も仮想空間になりました。

我々の生活全体、人生全体が仮想空間にシフトしたのです。

仕事も遊びもZOOMやLINEなどチャットツールの中で行われたあの二か月間は、私たちに未来の姿を見せました。

そこでうまく仮想空間シフトに適応した人は、中国経済のように超速で進化してゆくはずです。

一方でコロナが収束したと安心して元の生活様式に戻る人々もいるでしょう。

アフターコロナに起きるのは、この二極化です。』


このコロナをきっかけに、「変わった人」「学んだ人」「進化した人」がいる半面、何も学ばず、進化もせず、ひたすら元に戻ること願う人もいる。

いつの時代も、人の生き方は、「現状打破の姿勢」の人と、「現状維持の姿勢」の人の二つしかない。

現状打破の姿勢の人は、何かをきっかけに、学び、進化し、そして自らを変革していく。

しかし、現状維持の姿勢の人は、変わることを恐れ、ただひたすら今の現状にしがみつく。


時代は、「仮想空間シフト」一択だ。

どう考えても、他に選択肢はない。

この「仮想空間シフト」に乗るしかないのに、いまだにグズグズしている人がいる。


老いも若きも…

勇気をもって、仮想空間へシフトしたい。






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