人の心に灯をともす 4108 天才、明石家さんまさんの言葉
【天才、明石家さんまさんの言葉】4108
バラエティプロデューサー、角田陽一郎氏の心に響く言葉より…
僕が子供の頃には、石油はあと30年で枯渇すると言われていました。
でもそれから20年、30年以上たっても、全然枯渇していません。
確か以前この事象=「石油がいつまで経っても枯渇しない問題」に専門家が回答しているテレビ番組を見たことがあります。
それによると、どんどん新しい油田が開発されたり、新しい技術(例えばシェールオイル)が開発されて、今や生産過剰にもなっているのだと。
かつて「あと30年」と言っていた頃は、その年の年間生産量と予測される埋蔵量と想定される未来の使用量を勘案すると出てきた年数だと言うのです。
一方で、悲観的な未来予測通りに悲惨な現状になっていることも、やっぱりあります。
僕が子供の頃、「将来、高齢化で、少ない労働者数で、たくさんの年金暮らしの高齢者を養わなければならなくなります」などという予想記事をよく目にしていました。
実態はかなりその予測通りに近づいてきて、さらにどんどんひどくなって、財政破綻が叫ばれ続けてはいますね。
そんな「未だ来ず」の未来のことを想うと、僕は20年前くらいのある天才の言葉を思い出します。
それは、明石家さんまさん。
僕がテレビ番組『さんまのスーパーからくりTV』の仕事でご一緒させていただいていた当時、まだ20世紀だった1990年代後半だったと思いますが、当時温暖化が頻繁に叫ばれていました(というか、これも近年の異常気象の常態化で、悲観的な未来が現実味を帯びていますが)。
明石家さんまさんと番組収録の合間に、たまたま楽屋でそんな地球温暖化の話題になったことがあります。
すると、さんまさんは、「そんな悲惨な未来は来えへん!」と。
なぜかというと、
「そんなときは、その道のプロが土壇場でなんとかするからや!」と。
「土壇場になったら、人類は今までなんとかしてきたやろ!」と。
それを聞いて、「確かにそんなこともあるよなあ」と幾分納得しつつ、でも「そんなんじゃ成立しないこともあるんじゃないかなあ」と思ったことを記憶しています。
それから20年くらい経って、あのときのさんまさんと同じ年くらいになって想うのは、結局僕らができるのは「そう考えるしかない!」ということ。
つまり、さんまさんだってそんな悲観的な未来も楽観的な未来も混交した未来予想を(多分)抱いてはいるけれど、
「こればっかりはその道のプロに任せるしかないんじゃないか!」
と言い聞かせて吹っ切っていたんだなと思うわけです。
「自分は、しゃべりのプロや!」
だから、
「自分ができる自分職分をただ真剣に一途に毎日やるだけなんや!」
と思っているという決意表明だったんだと、今の僕にはわかります。
だってそれしかできないから。
僕はこんなふうに自分の人生の瞬間瞬間によく思うのです。
「人生の大事なことは、だいたい明石家さんまさんに教わった」と。
そう実感していることを僕も決意表明した上で、冒頭に書いた「いまだこず」に戻すと、僕はこれからくる、“いまだこずの未来”に対して、ある意見、それも悪意のある否定的な意見を言うことはなるべく避けようと思っています。
「土壇場になったったら、人類は今までなんとかしてきたやろ!」
と腹をくくるしかないんだと思って、自分の、自分がやれる、自分がやるべき、プロとしての職分を果たしていこうと思い、誓うのです。
そして、自分の職分以外の、よくわからないことへの未来予測に関しては、ただの素人の愚痴か、外野からの野次か、それともプロの警告か内部からの警鐘か、僕らは日々見極めるしかないのです。
そこは見極めるための能力を養うしかありません。
その見極め力というのものを、僕は「知性」と呼ぶのだと思うのです。
さらに、その知性というのは、いろんな情報をさまざまな事象や人間や書物などを通して、それらを自分の体内(脳内)に通過させて、自分の体内(脳内)で咀嚼し、吟味し、自分の職分や日常のアウトプット(行動)に活かすことだと思うのです。
僕たちの未来は悲観的か?楽観的か?
それを決めるのは、自分の「知性」だけなのです。
『天才になる方法』大和出版
https://amzn.to/2T4kyt4
斎藤一人さんは「未来の不安」に対してこう語ります。
『誰がなんと言おうと、明らかに世の中はよくなっています。
松下幸之助さんの話ではありませんが、宇宙はちゃんと生成発展している。
たとえば今より少し前、江戸時代のことをちょっと考えてみましょう。
江戸時代は将軍様の家にだって、扇風機なんかありませんでした。
冷蔵庫もなかった。 その時代から少しずつよくなってきて、今はどの家にも冷蔵庫があります。
扇風機どころかクーラーだってあります。
いつの間にか、私たちは将軍様よりいい暮らしが送れるようになっているんです。
江戸時代に生まれなくてよかったですね。
この世の中にはどんなにいいことを並べられても、不安に思ってしまう不安症の人がいるんですね。
つまり、「世の中はどんどんダメになっていく」と考えるタイプの人間です。
そういう人はつねに不安に思うから、足がすくんで動けなくなってしまう。
動けないと行動ができないから、運が回ってこない。
そして不安に思うから不安な生活がきちゃうんです。
行動しないということ自体が、自分の未来を閉ざしてしまう。
本当は人生に困ったことは起きないんです。
だって自分の人生は自分の責任で決めているんだから、自分でも処理できないような困ったことなんて起こるはずがない。
世の中は生成発展するようにできているんです。
その流れに素直に乗っていればいい。
今の世の中は江戸時代には戻りません。
生成発展しているんですから。
100年前はもっとひどかった。
200年前はそれよりもっとひどかった。
時代は戻りません。
世の中はよくなるようにできているんです。
「よくなる」と思い込んでいれば、別の何の問題も起きません。
「よくなる」と思っているから、よくなるように生きるし、よくなる道も見えてきます。
でも「よくならない」と思っている人は、「よくならなかったらどうしよう」と思うので、足がすくんで行動できません。
行動できないから、変われない。
変われないから、運勢が悪くなる。
「よくなる」前提で生きるのか、「よくならない」前提で動くのか。
決定的な違いですね。
もちろんこれからだって、地震はくるし、台風も襲います。
だけど、昔は地震がきても放っておかれた。
今は仮設住宅をつくってくれます。
年金が安いと言ったって、昔は年金なんてなかった。
ほら、やっぱりよくなっているでしょう?
「このまま行くと、ダメになっちゃう」じゃなくて、「もっとよくなる」なんです。
それを信じるか信じないかだけ。 』(変な人が書いた 人生の哲学/PHP研究所)より
さんまさんのように、「未来はよくなるに決まっている」と思えば、よくなる前提で、希望を持って動くことができる。
「よくならない」と思うなら、なげやりになったり、「どうせだめになる」と行動しなくなる。
未来を悲観的にいう人は必ず出て来る。
「〇〇年に地球は滅亡する」というような予言もそうだ。
しかし、今だに地球は滅びずに、生成発展を続けている。
「未来はよくなるに決まっている」という言葉を胸に刻みたい。
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バラエティプロデューサー、角田陽一郎氏の心に響く言葉より…
僕が子供の頃には、石油はあと30年で枯渇すると言われていました。
でもそれから20年、30年以上たっても、全然枯渇していません。
確か以前この事象=「石油がいつまで経っても枯渇しない問題」に専門家が回答しているテレビ番組を見たことがあります。
それによると、どんどん新しい油田が開発されたり、新しい技術(例えばシェールオイル)が開発されて、今や生産過剰にもなっているのだと。
かつて「あと30年」と言っていた頃は、その年の年間生産量と予測される埋蔵量と想定される未来の使用量を勘案すると出てきた年数だと言うのです。
一方で、悲観的な未来予測通りに悲惨な現状になっていることも、やっぱりあります。
僕が子供の頃、「将来、高齢化で、少ない労働者数で、たくさんの年金暮らしの高齢者を養わなければならなくなります」などという予想記事をよく目にしていました。
実態はかなりその予測通りに近づいてきて、さらにどんどんひどくなって、財政破綻が叫ばれ続けてはいますね。
そんな「未だ来ず」の未来のことを想うと、僕は20年前くらいのある天才の言葉を思い出します。
それは、明石家さんまさん。
僕がテレビ番組『さんまのスーパーからくりTV』の仕事でご一緒させていただいていた当時、まだ20世紀だった1990年代後半だったと思いますが、当時温暖化が頻繁に叫ばれていました(というか、これも近年の異常気象の常態化で、悲観的な未来が現実味を帯びていますが)。
明石家さんまさんと番組収録の合間に、たまたま楽屋でそんな地球温暖化の話題になったことがあります。
すると、さんまさんは、「そんな悲惨な未来は来えへん!」と。
なぜかというと、
「そんなときは、その道のプロが土壇場でなんとかするからや!」と。
「土壇場になったら、人類は今までなんとかしてきたやろ!」と。
それを聞いて、「確かにそんなこともあるよなあ」と幾分納得しつつ、でも「そんなんじゃ成立しないこともあるんじゃないかなあ」と思ったことを記憶しています。
それから20年くらい経って、あのときのさんまさんと同じ年くらいになって想うのは、結局僕らができるのは「そう考えるしかない!」ということ。
つまり、さんまさんだってそんな悲観的な未来も楽観的な未来も混交した未来予想を(多分)抱いてはいるけれど、
「こればっかりはその道のプロに任せるしかないんじゃないか!」
と言い聞かせて吹っ切っていたんだなと思うわけです。
「自分は、しゃべりのプロや!」
だから、
「自分ができる自分職分をただ真剣に一途に毎日やるだけなんや!」
と思っているという決意表明だったんだと、今の僕にはわかります。
だってそれしかできないから。
僕はこんなふうに自分の人生の瞬間瞬間によく思うのです。
「人生の大事なことは、だいたい明石家さんまさんに教わった」と。
そう実感していることを僕も決意表明した上で、冒頭に書いた「いまだこず」に戻すと、僕はこれからくる、“いまだこずの未来”に対して、ある意見、それも悪意のある否定的な意見を言うことはなるべく避けようと思っています。
「土壇場になったったら、人類は今までなんとかしてきたやろ!」
と腹をくくるしかないんだと思って、自分の、自分がやれる、自分がやるべき、プロとしての職分を果たしていこうと思い、誓うのです。
そして、自分の職分以外の、よくわからないことへの未来予測に関しては、ただの素人の愚痴か、外野からの野次か、それともプロの警告か内部からの警鐘か、僕らは日々見極めるしかないのです。
そこは見極めるための能力を養うしかありません。
その見極め力というのものを、僕は「知性」と呼ぶのだと思うのです。
さらに、その知性というのは、いろんな情報をさまざまな事象や人間や書物などを通して、それらを自分の体内(脳内)に通過させて、自分の体内(脳内)で咀嚼し、吟味し、自分の職分や日常のアウトプット(行動)に活かすことだと思うのです。
僕たちの未来は悲観的か?楽観的か?
それを決めるのは、自分の「知性」だけなのです。
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『誰がなんと言おうと、明らかに世の中はよくなっています。
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たとえば今より少し前、江戸時代のことをちょっと考えてみましょう。
江戸時代は将軍様の家にだって、扇風機なんかありませんでした。
冷蔵庫もなかった。 その時代から少しずつよくなってきて、今はどの家にも冷蔵庫があります。
扇風機どころかクーラーだってあります。
いつの間にか、私たちは将軍様よりいい暮らしが送れるようになっているんです。
江戸時代に生まれなくてよかったですね。
この世の中にはどんなにいいことを並べられても、不安に思ってしまう不安症の人がいるんですね。
つまり、「世の中はどんどんダメになっていく」と考えるタイプの人間です。
そういう人はつねに不安に思うから、足がすくんで動けなくなってしまう。
動けないと行動ができないから、運が回ってこない。
そして不安に思うから不安な生活がきちゃうんです。
行動しないということ自体が、自分の未来を閉ざしてしまう。
本当は人生に困ったことは起きないんです。
だって自分の人生は自分の責任で決めているんだから、自分でも処理できないような困ったことなんて起こるはずがない。
世の中は生成発展するようにできているんです。
その流れに素直に乗っていればいい。
今の世の中は江戸時代には戻りません。
生成発展しているんですから。
100年前はもっとひどかった。
200年前はそれよりもっとひどかった。
時代は戻りません。
世の中はよくなるようにできているんです。
「よくなる」と思い込んでいれば、別の何の問題も起きません。
「よくなる」と思っているから、よくなるように生きるし、よくなる道も見えてきます。
でも「よくならない」と思っている人は、「よくならなかったらどうしよう」と思うので、足がすくんで行動できません。
行動できないから、変われない。
変われないから、運勢が悪くなる。
「よくなる」前提で生きるのか、「よくならない」前提で動くのか。
決定的な違いですね。
もちろんこれからだって、地震はくるし、台風も襲います。
だけど、昔は地震がきても放っておかれた。
今は仮設住宅をつくってくれます。
年金が安いと言ったって、昔は年金なんてなかった。
ほら、やっぱりよくなっているでしょう?
「このまま行くと、ダメになっちゃう」じゃなくて、「もっとよくなる」なんです。
それを信じるか信じないかだけ。 』(変な人が書いた 人生の哲学/PHP研究所)より
さんまさんのように、「未来はよくなるに決まっている」と思えば、よくなる前提で、希望を持って動くことができる。
「よくならない」と思うなら、なげやりになったり、「どうせだめになる」と行動しなくなる。
未来を悲観的にいう人は必ず出て来る。
「〇〇年に地球は滅亡する」というような予言もそうだ。
しかし、今だに地球は滅びずに、生成発展を続けている。
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