人の心に灯をともす 4114 うまいことやる習慣

【うまいことやる習慣】4114



精神科医、中村恒子氏の心に響く言葉より…


《「こんなの自分の仕事ではない」と考える前に、まずはスッキリ受け入れてみる。そうしないと、人は先に進めない。》


外来に来る患者さんと話していると、「今の会社では成長できない」とか「働く目標を見失った」と真剣に悩んでいる人がいますが、ちょっと難しく考えすぎやないかと思います。

なんというか、力が入りすぎているんですわ。

仕事人生は、長~く続いていくものです。

あんまり大きな期待や思い入れを持ちすぎていると、失望したりイラつく原因になります。


世間体とは地位とか名誉とか、いろんなものにガチガチに縛られて、人の目を気にして働いていたら、そら疲れてしまいます。

そんな無理を続けていたら、何十年も働く前に倒れてしまうかもしれません。

みんながみんな、しゃかりきになって働く必要はないんですわ。


与えられることに対して、構えることなくまずは受け入れること。

眉間にしわを寄せて「この仕事の意義は?」なんて難しいことを考えていると、誰も煙たがって仕事を頼んでくれなくなりますやろ?

若い人でも、長く勤めてきた人でも同じことです。

定年退職後に最就職した人でも、「この仕事は自分がするべき仕事だろうか?」って難しい顔して悩む人もいはるけど、あまり深刻に仕事をとらえすぎないほうが気楽やと思います。


昔から「大志を抱け」とよく言われるけど、あまり立派な志や高すぎる目標ばかり持ちすぎると、未来のことや成果にばかり気がとらわれてしまいます。

すると、目の前のことに打ち込めなかったり、迷いが生じてしまうんやないでしょうか。

ちょっと、目線を落としてみてもええんやないかな。


「自分はこんな仕事をすべき人間ではない」なんて、たいそうに考えるからおかしなことになってしまうんです。

余計な力を抜いて、「まあこれくらいやってやるか」「今はそういうときなんやな」と、変に力まず素直に受け入れてしまったほうがラクですわ。

そうすれば頼まれた仕事もハイハイと取り組めるようになるし、仕事を頼んだ人にも喜ばれる。

もっと気楽に働けるようになります。


で、受け入れたあとでやっぱりその状況がイヤなんであれば、そこから努力なり研鑽なりを積めばええんです。

一度は受け入れてみないと、先に進めないもんなんやと思います。

そもそもね、人間なんて70歳80歳にもなったら「勝ち」も「負け」もあったもんじゃありません。

肩書きや経歴なんてどうでもええ。

身分に差なんてありゃしません。

自分も家族も健康で元気でいてくれたら、世間話ができる友だちがいてくれたら、それ以外は何も必要ないと思うんです。


反対に、たくさんお金をもうけていたとしても、身体を壊すほど働いて、自分も家族もボロボロだったらどうでしょう?

それこそ、不幸なことやと思います。

実際、お金は持っていても、心がいつも寂しい、「不安」や「孤独」やという人は世の中が思っているより多いもんです。

そうやって私のところに診察に来る人もたくさんいます。


戦争のあとは日本も上がり調子やったから、「こう生きることがあたりまえ」みたいな常識が多かったけど、今は違ってきてますやろ。

別に60歳で人生が終わるわけではありません。

そこからが長い人も多いでしょうね。


必要以上に気を張らないで、「ちょっと目の前の人のお役に立てればいいかな」ぐらいの気持ちで仕事をしてみるのはどうでしょう。

ご飯が食べられて、そこそこの生活さえできたら上出来。

さらに、自分の仕事で目の前の人が喜んでくれたらもうけもんです。

そんな心持が、長い人生を送っていくには大切なんやないでしょうか。


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中村恒子氏は、1929年生まれの現役医師。

「仕事」についてこう語っている。

『88歳になるまでずっと週6日のフルタイムで働いてきたので、今までたくさんの人から「先生は、よっぽど仕事がお好きなんですねぇ」と尋ねられてきました。

でも私は、一度も「仕事が大好きや」と答えたことはありません。

「大嫌い」ではありませんが、「大好き」でもない。

「好きか嫌いか」と言われれば、「好きなほう…かな?」。

私にとって仕事とは、いつもそんな感じの位置づけです。

たとえば20代のときは、「仕事をしない」という選択肢はありませんでした。

親には頼れへんかったから、生きるためには働く必要がある。

好き嫌いなど考えたりする暇も余裕もないって感じでしたわ。

結婚してからも、好き嫌い以前に「やり続けなければならないもの」やったから、同じような調子です。

そんなふうに何十年も続けてたら、仕事をすることは生活の一部になってしまって、子どもが独立したあとも自然と続けていました。

まあ、家にいてもすることはありませんしなぁ(笑)。

「仕事は好きでなければいかん」「楽しくやらないかん」そんなふうにまじめに考える人もいるかもしれへんけど、そんな必要はまったくないやと思います。

もちろん、やりたくて仕方がないことに出会えたらそれがいちばんかもしれへん。

でも、それは宝くじに当たるようなもんなんやと思うくらいがちょうどええ。

働いていれば、いつか好きな仕事に出会える…かも。

それくらいの気持ちでいたほうが変なストレスを感じず仕事ができるもんです。

やらないようりは、やるほうがマシかな?

それくらいのモチベーションが、仕事を無理なく続けるコツやと思います。

そうすると過剰に期待しなくてすみますから、めんどうくさいこともイヤなことも「まあ、ときどきはそういうことも起こるやろ」と大らかになれますわ。

その中で、ふと嬉しいことや喜びがときどき味わえれば、それで十分やと思いますね。

たとえば掃除や洗濯なんかも、大好きでやっている人は少ないでしょ。

「生活のためにやっている」のと違いますか?

仕事も同じですわ。

旅行や遊びも、たまに行くのは楽しいけど、何回もしてるとだんだん飽きてきます。

刺激というのは、すぐに慣れてしまうもんなんです。

そもそも、仕事の好き嫌いなんて実はちょっとしたもんで、仕事の内容よりも人間関係のほうがよっぽど大事だったりします。

私の経験上、仕事が嫌いになる原因のほとんどは、人間関係です。

どこへ行っても仕事が嫌いになってしまうのは、人との付き合い方のほうに問題があるかもしれません。

そんなことで、仕事をしていく上では格別好きか嫌いかを考えなくてよろしいと私は思っています。

そしてどんな仕事であれ、働けるうちは何歳になっても続けたほうがいいでしょうな。

時間が余ると、人間ろくなことを考えませんのや。

気にしないでええことまで気になってくる。

余計なことに首をつっこみたくなってくる。

暇は、人間にとって毒にもなります。

せやから、「ほどよく忙しい」のがええ塩梅(あんばい)でしょうな。

そして歳をとってきたときには、食事や掃除のように、仕事が自然で穏やかな習慣になっていたら言うことなしやと思います。』



夢や希望を追う「目標型」の人生と、人から頼まれたことや、やらざるを得なくなったことを淡々と引き受けてやっていく「頼まれ型」の人生がある。

世間一般には夢がなければダメだ、目標を持たない人は成功しない、などといわれる。

それとは逆に、夢や希望もあまりなく、ただ頼まれたことや、運命的に転がり込んできた仕事や頼まれごとを、文句をいわず「はい」と言って引き受けていく人もいる。


どちらが素晴らしいということはない。

目標型は、自分の夢や希望に向かってただひたすら努力をする。

努力が実を結べばいいが、実際はそうはうまくいかない。

その際には、多く努力をした人ほど、その挫折感や喪失感は激しい。


反対に、「頼まれ型」はそんなに期待値も高くないから、うまくいかなくても、「そんなもんだろう」と思う。

鬱(うつ)にはなりにくい生き方だ。

そして、「頼まれ型」は、「目標型」と違って、自分でも思ってもみない人生が展開するということだ。


なにしろ、頼むのは人だから、何を頼まれるかわからない。

自分の苦手なことだったり、ちょっとイヤだな、なんて思っていることもたまには頼まれる。

それは、逆に言うと、自分の人生が広がるということ。

頼まれごとによって、自分の長年の思い込みや、固まっていた思考、つまり苦手意識だったり、食わず嫌いを打破してくれるからだ。


肩に力を入れず…

「うまいことやる習慣」を身につけたい。





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