人の心に灯をともす 4180 「新しい」ものは「面白い」

【「新しい」ものは「面白い」】4180



森博嗣(ひろし)氏の心に響く言葉より…


まず、僕が一番に思いつく「面白さ」は、別の言葉にすると「新しさ」に近いもののように感じる。

今までになかったもの、これまで考えたことがなかったもの、一般的に認識されているところから外れているもの、などである。


「新しい」といっても、最近作られたばかりだ、と言う意味だけでは当然ない。

古くから存在したものであっても、それに接する個人が「こんなの初めてだ」と感じれば、その人にとっては「新しい」ものになる。

つまり、その人の頭の中にインプットされて、そこで作られるイメージが「新しい」のだ。


もちろん、「新しい」だけで、即「面白い」わけではない。

新しいことが、面白いことの一つの要因になっているというだけで、それ以外にも「面白さ」を成立させる条件がいるいろあるだろう。

ただ、その中でも「新しさ」は際立っているように感じる。

まちがいなく最重要であり、しかも、「新しさ」が計算の結果生み出すことが難しい対象でもある点に注目したい。


人間は、そもそも「新しい」ものが好きだ。

これは「好奇心」と呼ばれる性質でもある。

見たことがないものに近づき、手を出して、触りたくなる。

多くの動物にも、好奇心はあるにはあるが、人間ほどではない。

自然界の動物は、新しいものをむしろ避ける。

危険なものかもしれない、と判断するためだ。


好奇心旺盛なのは、子供や若者であるが、人間の場合は、かなり老年になっても、それを持っているようだ。

なかには、もう新しいものはいらない、今のままで良い、と頑(かたく)なになる老人もいるようだが、いくつになっても、自分の好きな分野では、新しいものに手を出したがる。

ただ、比較をすれば、そういった傾向は、やはり歳とともに衰えるように観察される。


「新しい」ものの「面白さ」に若者は敏感であり、年寄りは鈍感だといえるだろう。

この傾向からすれば、年を取るほど、「面白い」ことは減っていく道理になる。

これは、ある意味でしかたがない。

なにしろ、経験を重ねるほど、その人にとって「新しい」ものが減っていくことは必然であり不可避だからだ。

「それは、もう知っている」「試したことがある」という境地に達してしまう、ということだろう。


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本書の中で、『可能性や成長の「面白さ」』についてこう述べている。


『若者や子供は、新しいものに目を輝かせる。

「面白い」というよりも、「可能性」のようなものに惹かれているのかもしれない。

つまり、「面白そうだ」という感覚である。

面白いかどうかは、試してみないとわからない。

だから「試してみたい」との欲求である。


子供が、なにを見ても、「やらせて」とせがむのを、大人は知っている。

逆に、大人になるほど、手を出してみても、自分の得にならない、という悟りを開いてしまうのだろう。

子供は「無知」であるから、知らないことが周囲に沢山ある。

それらを知ることが、「面白い」のだ。

おそらく、知識を得ることで自身が有利になれるとの「予感」があるためだろう。

知らないよりも知ることは有利だ。

他者との競争にも勝てるし、自身の将来の可能性を広げるだろう。

つまり、好奇心とは自分が「成長」するイメージを伴うものである。


この自身の「成長」が「面白い」と感じられるのは、躰を鍛えたり、技を磨くための練習が「面白い」ことにもつながる。

いずれ得られる満足を予感させる「面白さ」といえるものだ。』


他には「意外性」の「面白さ」があるという。

これは知性によるものだ。

また、「突飛」の「面白さ」や、「楽しい」という「面白さ」、「ほのぼの」という「面白さ」、「研究」という「面白さ」、「楽しい」という「面白さ」、「アウトプット」の「面白さ」、等々がある。


若いときから自分なりの「面白い」ものがない人は、歳を重ねたときは悲惨だ。


あったとしても、孫と遊ぶのが楽しい(面白い)という人は、孫が大きくなったらそれは消滅する。

だから、一人で楽しめるものがなければいけない。


それを安岡正篤師はこう語っている。

清末の名宰相、曾国藩(そうこくはん)の言葉に四耐がある。

「耐冷、耐苦、耐煩、耐閑」の四つの耐であります。

その中の、「閑に耐える」ということは、なんでもないことのようで案外できない。

人間は昔から暇をもてあますなどと言うが、あまり学芸のない人などは、特にこの閑に弱い。

しかし、いろいろと精神生活が豊富になると、人間は逆に閑というものは非常に嬉しくなる。

そして、閑に耐えれられるようになるには、よほど人物の修行を要します。(酔古堂剣掃を読む / 致知出版)


学芸とは、何かの研究だったり、お茶とかお花という「道」の世界があるが、基本的には読書だ。

「読書」は、すればするほど、精神生活が豊かになる。


いくつになっても、「新しい」ことにチャレンジし…

好奇心旺盛に生きる人でありたい。





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