人の心に灯をともす 6069 晴れてよし、曇りてもよし
【晴れてよし、曇りてもよし】6069
臨済宗全生庵住職、平井正修氏の心に響く言葉より…
《晴れてよし 曇りてもよし 不二の山 もとの姿は かわらざりけり》 ・・・*『鉄舟居士の真面目』円山牧田編・全生庵発行・大正七年
(晴れていても曇っていても、富士山は変わらぬ元の通りの姿のままそこにある。)
これは誰が詠んだ歌か実はわかっていないのだが、鉄舟先生が三島の龍澤寺に参禅をしているときに、ふっと口から出た悟りの歌として知られている。
龍澤寺は山の中腹に建っている寺だが、鉄舟先生は東京から百二十キロの道のりを歩いていったといわれる。
ホントかウソかはわからない。
馬に乗っていったんだという人もいるが、とにかく明治天皇の侍従をしていた頃に、休みの度に龍澤寺へ参禅に出かけている。
鉄舟先生は星定老師という方について参禅をしたのだが、三年ぐらい経ったある日、一つの公案を「よし」といって許された。
しかし、先生は腑に落ちなかった。
「こんなことで『よし』といわれるのなら、なんのために俺は三年もここに通ったんだ」
そう思いながら裏山を上がって帰路についた。
今でもそうだが、龍澤寺の裏山を登って稜線に出ると向こうに富士山が見える。
その富士山を見た瞬間に、鉄舟先生は 「あっ」と悟って、すぐさま老師のところへ引き返していった。
すると星定老師は「ああ、今日はお前、帰ってくると思っていたよ」といった。
そのときにふっと口から出たのがこの歌だった。
歌にあるように、曇って見えなくてもそこに富士山はある。
見えないからといってなくなるわけじゃない。
いつもと変わらず、そこにある。
よく「自分探しの旅」とかいうけれど、どこかへ探しにいったって自分は見つからない。
あるいは「自分を見失う」ということを我々はよくいうし、そういう状態に陥るときも実際にあるけれど、朝から晩まですべてのことは自分自身がやっているのである。
「ふと我に返る」という言葉もある。
これは、ある瞬間に「なんでこんなことをしたんだろう」とか「なんでこんなことを言ったんだろう」と気づくことだ。
そういう「なんでこんなことを・・・」という状態を「自分を見失っている」というのだろうが、そういうときも常に自分は自分と共にあるのだ。
それをしっかりと体得する。
そして常に自分と一体となっていく。
もし自分自身を見失ったという状態になったとしても、そこで「自分というものは常に自分と共にある」とわかっているのといないのとでは大きな違いがある。
『山岡鉄舟 修養訓』致知出版社
https://q.bmd.jp/91/119/7587/__no__
山岡鉄舟は、明治天皇の侍従長を務めていた37才から3年間、東京から三島の龍澤寺に通っていた。
剣道の達人でもあり、書道も若い頃から修練し100万枚を書いたと言われている。
47才のとき宮内庁を辞し、翌年、国事に殉じた人々の菩提を弔うため、東京谷中に全生庵を建立する。
禅の公案集である、『無門関(むもんかん)』の中に、「主人公」というのがある。
瑞巌(ずいがん)和尚は、毎日自分自身に「主人公」と呼びかけ、それに対して「ハイ」と答えた。
「だまされるなよ」と言っては「ハイ」。
「目をさませよ」と言って、「ハイ」、と自問自答していたそうだ。
時に、「失敗することもある」「落ち込むこともある」「嫌われることもある」・・・
そんなとき、「格好つけてないか」、「無理してないか」と自分に問いかける。
自分の中の本当の主人を呼び覚まし続ける行だ。
それが主人公であり、本来の自分。
《晴れてよし 曇りてもよし 不二の山 もとの姿は かわらざりけり》
晴れていようが曇っていようが、まわりがどうなろうと、本来の尊い自分は常にここにいる。
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《晴れてよし 曇りてもよし 不二の山 もとの姿は かわらざりけり》 ・・・*『鉄舟居士の真面目』円山牧田編・全生庵発行・大正七年
(晴れていても曇っていても、富士山は変わらぬ元の通りの姿のままそこにある。)
これは誰が詠んだ歌か実はわかっていないのだが、鉄舟先生が三島の龍澤寺に参禅をしているときに、ふっと口から出た悟りの歌として知られている。
龍澤寺は山の中腹に建っている寺だが、鉄舟先生は東京から百二十キロの道のりを歩いていったといわれる。
ホントかウソかはわからない。
馬に乗っていったんだという人もいるが、とにかく明治天皇の侍従をしていた頃に、休みの度に龍澤寺へ参禅に出かけている。
鉄舟先生は星定老師という方について参禅をしたのだが、三年ぐらい経ったある日、一つの公案を「よし」といって許された。
しかし、先生は腑に落ちなかった。
「こんなことで『よし』といわれるのなら、なんのために俺は三年もここに通ったんだ」
そう思いながら裏山を上がって帰路についた。
今でもそうだが、龍澤寺の裏山を登って稜線に出ると向こうに富士山が見える。
その富士山を見た瞬間に、鉄舟先生は 「あっ」と悟って、すぐさま老師のところへ引き返していった。
すると星定老師は「ああ、今日はお前、帰ってくると思っていたよ」といった。
そのときにふっと口から出たのがこの歌だった。
歌にあるように、曇って見えなくてもそこに富士山はある。
見えないからといってなくなるわけじゃない。
いつもと変わらず、そこにある。
よく「自分探しの旅」とかいうけれど、どこかへ探しにいったって自分は見つからない。
あるいは「自分を見失う」ということを我々はよくいうし、そういう状態に陥るときも実際にあるけれど、朝から晩まですべてのことは自分自身がやっているのである。
「ふと我に返る」という言葉もある。
これは、ある瞬間に「なんでこんなことをしたんだろう」とか「なんでこんなことを言ったんだろう」と気づくことだ。
そういう「なんでこんなことを・・・」という状態を「自分を見失っている」というのだろうが、そういうときも常に自分は自分と共にあるのだ。
それをしっかりと体得する。
そして常に自分と一体となっていく。
もし自分自身を見失ったという状態になったとしても、そこで「自分というものは常に自分と共にある」とわかっているのといないのとでは大きな違いがある。
『山岡鉄舟 修養訓』致知出版社
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山岡鉄舟は、明治天皇の侍従長を務めていた37才から3年間、東京から三島の龍澤寺に通っていた。
剣道の達人でもあり、書道も若い頃から修練し100万枚を書いたと言われている。
47才のとき宮内庁を辞し、翌年、国事に殉じた人々の菩提を弔うため、東京谷中に全生庵を建立する。
禅の公案集である、『無門関(むもんかん)』の中に、「主人公」というのがある。
瑞巌(ずいがん)和尚は、毎日自分自身に「主人公」と呼びかけ、それに対して「ハイ」と答えた。
「だまされるなよ」と言っては「ハイ」。
「目をさませよ」と言って、「ハイ」、と自問自答していたそうだ。
時に、「失敗することもある」「落ち込むこともある」「嫌われることもある」・・・
そんなとき、「格好つけてないか」、「無理してないか」と自分に問いかける。
自分の中の本当の主人を呼び覚まし続ける行だ。
それが主人公であり、本来の自分。
《晴れてよし 曇りてもよし 不二の山 もとの姿は かわらざりけり》
晴れていようが曇っていようが、まわりがどうなろうと、本来の尊い自分は常にここにいる。
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