人の心に灯をともす 4571 人はなんのために勉強をするのか?

【人はなんのために勉強をするのか?】4571



立命館アジア太平洋大学学長、出口治明(はるあき)氏の心に響く言葉より…


山本義隆さんという人がいます。

大学というアカデミズムに属さない在野の科学史家として、「磁力と重力の発見」(みすず書房)などすばらしい本を何冊も出されています。

長いあいだ、予備校の物理学の名物講師としても活躍された人です。

その山本さんが、とあるインタビューで「人はなんのために勉強をするのか?」という問いへの答えとして言われたのが、「自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を表明できるようになるため」という言葉。

まさにその通りだと思います。


「知識をインプットしなければ、考えることはできない」と述べました。

ただ、なかには、インプットは一生懸命するのに、そこでストップしてしまう人をときどき見かけます。

考えるという作業をほとんど行わず、アウトプットをからきししない。


「勉強する」、あるいは「学ぶ」という人間の営為は、インプットとアウトプットがセットになっているのです。

この2つをセットでやらないと、せっかく知識をインプットしても、それはその人にっとって、血肉にはなりません。

下手をすれば、時間ととともに忘却の彼方にいってしまうことになるでしょう。


ところで、アウトプットとは何か。

その基本は、母語(マザータング)による「言語化」です。

しかも、インプットしたままの他人の言葉ではなくて、それを自分の頭で咀嚼して、自分の言葉に引き直して言語化する。

その作業を経ることによってはじめて、自分の頭の中の「情報のタンスの中の引き出し」(自分の辞書)を整理することができます。

整理されれば、引き出しやすくもなります。

必要なときに、さっとその知識を取り出せるわけです。


逆に、言語化の作業を経ないと、情報は頭の中の「タンス」の中でグチャグチャになったままです。

場合によっては、タンスの外にはみ出しているかもしれません。

これは別の言葉で言えば、自分の「血肉」になっていない状態。

モノになっていない。

だから、適切に取り出せないばかりかすぐに忘れてしまうのです。


日本では、経営学者のピーター・ドラッカーが非常に人気があります。

読者もファンもたくさんいます。

私の好きな学者の1人です。

では、彼が暮らしていたアメリカではどうなのでしょう。


あるドラッカーの研究者の方に伺ったら、彼の書籍の出版部数を人口で割ったら、アメリカ全体の中でドラッカーを読んでいる人の割合は、日本のそれの3分の1くらいなのだそうです。

この数字にも驚きましたが、もっと「あれ?」と思ったのは、それだけドラッカーを読んでいる人が多いのに、日本ではアメリカほどベンチャー企業が起こらないのは、どうしてなのだろう、ということです。

アメリカの起業活動率は12.7%。

対する日本は3.7%と、なんとその半分以下です。

つまり、日本のドラッカー愛読者の割合はアメリカの3倍でも、起業する人は2分の1以下だというわけです。


理由は明白でしょう。

どれだけだラッカーを読もうと、日本では「すばらしい本だ!」の段階でストップしてしまっているから。

そこから得た知識やアイデアを自分に合った形に修正して、実行に移さないケースがおそらく圧倒的に多いのです。

厳しい言い方をすれば、とりあえずドラッカーを読んだものの、自分の頭で考えていないのです。


ドラッカーに限らず、インプットした知識は、あくまでも自分の人生の参考にすぎません。

それを材料にして、自分の頭で考える。

そこではじめて、獲得した知識が自分の血となり、肉となる。

インプットしたら即刻アウトプット(言語化)をする。

巷(ちまた)にはさまざまな勉強法が存在していますが、これこそが、確実に力がつく一番の方法なのではないでしょうか。


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稲盛和夫氏は「この世に何しにきたのか」という問いに対してこう答えています。


『私たち人間が生きている意味、人生の目的はどこにあるのでしょうか。

その根本的な問いかけに、私は真正面から、それは「心を高める」こと、「魂を磨く」ことにあると答えたいと思います。

欲に迷い、惑うのが、人間という生き物の性(さが)です。

放っておけば、私たちは際限なく財産や地位、名誉を欲しがり、快楽に溺れかねない存在です。

生きている限り、衣食が足りていなくてはなりませんし、不自由なく暮らしていけるだけのお金も必要です。

立身出世を望むことも生きるエネルギーとなるだけに、一概に否定すべきものでもないでしょう。

しかし、そういうものはいくらたくさん溜め込んだとしても、どれ一つとしてあの世へ持ち越すことはできません。

この世のことは、この世限りでいったん清算しなくてはならないのです。

そのような中で、たった一つだけ滅びないものがあるとすれば、それは、「魂」というものなのではないでしょうか。

死を迎えるときには、現世でつくりあげた地位も名誉も財産もすべて脱ぎ捨て、「魂」だけ携えて、新しい旅立ちをしなくてはなりません。

だから、「この世に何しにきたのか」と問われたら、私は、「生まれたときより、少しでもましな人間になる、すなわち、わずかなりとも美しく崇高な魂を持って死んでいくためだ」と答えます。

様々な苦楽を味わい、幸不幸の波に洗われながら、息絶えるその日まで、倦(う)まず弛(たゆ)まず一所懸命に生きていく。

その日々を磨砂(みがきずな)として、人間性を高め、精神を修養し、この世にやってきたときよりも少しでも高い次元の魂を持ってこの世を去っていく。

私はこのことよりほかに、人間が生きる目的はないと思うのです。(「成功」と「失敗」の法則/致知出版社 https://amzn.to/3rxzzlS)


「人はなんのために勉強をするのか? 」という問いに対する答えは人により様々だ。

出口氏のように、「自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を表明できるようになるため」という答えもあるだろう。

しかし、それでは、何のために、「自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を表明できるようになる」必要があるのだろうか。

「それは何のため」を何回か繰り返すと本質に突き当たるという。

その本質はおそらく、「生まれたときより、少しでもましな人間になる、すなわち、わずかなりとも美しく崇高な魂を持って死んでいくため」という答えに帰結すると思う。


「我々は遠くから来た。そして遠くまで行くのだ...」

という、イタリアのパルミーロ・トリアッティの言葉がある。

我々は、この時代に、この国に生まれ、今、この時を過ごしている。

独りで生まれ、そして、独りで死んでゆく。


繰り返し生まれ変わるという輪廻があるとするなら、我々は「生まれたときより、少しでもましな人間になってあの世に行く」必要がある。

いくつになっても、勉強し、魂を磨き続ける人でありたい。






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