人の心に灯をともす 5279 マインドフルネスは意識を「今ここ」に引き戻す練習

【マインドフルネスは意識を「今ここ」に引き戻す練習】5279



精神科医、kagshun(カグシュン)氏の心に響く言葉より…


マインドフルネスの目的は、頭の中にごちゃごちゃと渦巻くネガティブな思考から気持ちを引き離すこと。

いやな経験や起こるかどうかわからない心配ごとに意識を向けてしまうから、「あのとき、ああすればよかった」「こんなことが起こったらどうしよう」といった気持ちが生まれてきます。

逆にいえば、「今ここ」に集中しているときは、ネガティブな気持ちにならずにすむわけです。


マインドフルネスは、苦しさや不安を感じたとき、意識を「今」に引き戻して気持ちを切りかえるのに役立ちます。

練習を繰り返すうちに、苦しさは自然に発生しているのではなく、過去と未来をパトロールしてネガティブな材料を拾ってくる習慣が生み出していることに気づくことができるでしょう。


マインドフルネスに取り組むなら、初心者には瞑想より手軽な方法がおすすめです。

マインドフルネスのゴールは「今ここ」に集中すること。そこに到達するためのアプ ローチ法は自由です。


たとえば食事。

普通に食べたのでは、味の好みや満腹感ぐらいしか意識しないでしょう。

でも、ひとつひとつの動作や感覚に注意を向けながら食べれば「マインドフルネス的な行為」になります。

お箸でつまんだときの食材の感触、持ち上げたときの重さ、色や香り、口の中で唾液が出る感覚、舌ざわりやのどごし......。

ひとつひとつをしっかり意識してみてください。

もちろん食事以外の行為も集中してていねいに行うようにすれば、同様の効果が期待できるワークになります。


集中しようと思っても、もちろんすぐに気が散ってしまうでしょう。

ああ、目玉焼 きの黄身がきれいだな。

縁がうっすら白くて真ん中は・・・ いつの間にか苦手な上司のことを考えていたりする。

でも、集中が途切れたからといって「失敗」ではありません。

上司から意識を離し、目玉焼きに戻ればいいのです。


マインドフルネスは、意識が別のところへ飛んだとき、それに気づいて「今ここ」 に引き戻す練習です。

気持ちがそれたら、そのたびに引き戻す。

目玉焼き→上司→目玉焼き→老後の不安→目玉焼き......。

これを繰り返すことに意味があるのです。


頭に浮かんだことについて「なぜこんなことを考えてしまうんだろう」などと掘り下げる必要もありません。

ただ、「今ここ」に戻ることだけを考えましょう。

1回につき5分でもいいので、こうしたマインドフルネスを生活に取り入れてみてください。

1日に何度行ってもかまいません。

すぐに大きな変化が出るわけではありませんが、回数を重ねるうちに確実に集中力が高まっていきます。

同時に、思考と自分自身を区別することも上手になっていくでしょう。



マインドフルネスが役に立つのは、「感じる自分」をネガティブな思考から引き離し、「観察する自分」の割合を増やすことができることです。

「観察する自分」の割合が多いほど、いやなできごとも淡々と受け入れられるようになるのです。

反対に「感じる自分」だけだと、常に感情や思考に振り回されることになります。



マインドフルネスにつながる簡単ワークについて。


■ウオーキングのワーク

ゆっくり歩きながら、足と地面が接する感覚に集中する。

「かかとが地面に触れた」「足の指に力が入っている」等々。


■呼吸のワーク

息を吸うとき、吐くときの感覚をひとつひとつ意識する。

「鼻から冷たい空気が入ってきた」「口から細かく息を吐いている」等々


■洗い物のワーク

食器を洗いながら、手に触れるものを意識する。

「お湯が温かい」「器に触れたとき、キュッと音がした」等々


■座ったままワーク

椅子に座って足を床につけ、両手を太ももに。体全体の感覚を意識する。

「手のひらが温かい」「左足が少ししびれている」等々



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小林正観さんは「思い」を持たないことが大事だという。


『「思い」を持たない。

それは、目の前で次々と起きる一般的に不幸だといわれている現象に対しても、「ああ、そうなりましたか」と単なる日常の1ページとして、淡々として受け入れていくということです。

病気や事故、愛する人との別れといった、思いがけず自分の身に起こる出来事を、人生の一部として受け入れていく。

「何でこんなことが起こったのだろう」という「思い」を持たない。

目の前で起こるすべての現象を、「ああ、そうなりましたか」と受け入れていく、それだけです。

家が火事になっても、事故に遭ってケガをしたとしても、「ああ、そうなりましたか」と受け入れる。

「この世に修行にきたわけではなく、ただこの世で起こるいろんな現象を、人間の肉体を借りて味わいにきただけ」』(努力ゼロの幸福論/大和書房)より



まさに、「感じる自分」から「観察する自分」になるということ。

それが、この世に我々が生まれたのは、いろいろなできごとを、人間の肉体を借りて味わいにきただけ。


「ああ、そうなりましたか」と言って、すべてのことを受け入れることができる人でありたい。






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