人の心に灯をともす 5280 今生のテーマは「喜ばれる存在になる」こと
【今生のテーマは「喜ばれる存在になる」こと】5280
小林正観さんの心に響く言葉より…
お釈迦様のこんなお話があります。
弟子にこう聞かれました。
「お師匠様は神通力に優れ、人の前世や来世が見えるとのことですが、私の前世はどんなものだったのでしょうか」
お釈迦様はこうお答えになりました。
「そんなことは考えなくていいから、こんにち、ただ今、この刹那(せつな)を大事にしていきなさい」
弟子はしばらくして、また聞きました。
「私の前世を教えてください」
お釈迦様はまた、静かにこう言いました。
「そんなことは考えなくていいから、こんにち、ただ今、この刹那を大事にしていきなさい」
「念」という字を考えた人も、お釈迦様も、多分、宇宙から同じことを教えてもらったのではないかと思います。
時代を超えた、時空間を超えた事実があります。
私も時々「私の前世はなんだったと思いますか?」と尋ねられることがあり、そのたびにお釈迦様の答えを引用しています。
そして、時にこのように答えます。
「かりに前世で強盗や詐欺をおかしていたとしましょう。
だとすると、今生に生まれ出たテーマはなんだと思いますか?」
「わかりません」
「今生では、動植物すべての存在たちから喜ばれる存在になる、ということではないでしょうか」
「なるほど」
「では、前世で多くの存在から喜ばれる存在だったとしましょう。今生でのテーマはなんでしょうね」
その人は答えられませんでした。
私は言いました。
「今生でのテーマは、もっと喜ばれる存在になりなさいということではないでしょうか。
そう考えたら、前世が何者であったかはどうでもいいということになりませんか?
今生でのテーマは、いかに多くの存在から喜ばれる存在になるか、ということですよね」
「念」という言葉は、「自分の思いどおりの未来をつくる」という意味に使われてきました。
しかし、本当の意味はそんな未来的な意味は含まれていないと思います。
「念」とは「今」の「心」でしかない。
そして、かりに目の前の人を大切にし、目の前のこと一つひとつを大事にやっていったとします。
その「念」 を入れた生き方は、確実に未来に繋がっていくでしょう。
「今」が独立して存在しているわけではないのです。
「今」の積み重ねが、「未来」をつくっているのです。
《「念を入れて」生きると、面白い現象が起こることがある》
『みんなが味方になるすごい秘密』kadokawa
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小林正観さんは「念を入れて生きる」についてこう語っている。
『「念」という字を分解すると、「今」と「心」と書く。
今、目の前にいる人、目の前にあることを大事にする心のこと。
つまり、目の前にいる人に喜んでもらう生き方。
愚痴や悪口や不平不満を言わず、明るく感謝の心で接すること。』
我々は、「今」というこの時間と、「ここ」という空間以外には存在しない。
だから、どこまでいっても「今、ここ」しかない。
明日になっても、「今、ここ」だ。
そして、それがずっと続く。
中村天風師はそれを、「一度だけの人生だ。だから今この時だけを考えろ。過去は及ばず、未来は知れず。死んでからのことは宗教にまかせろ」と言った。
前世がどうであろうが、我々には今しかない。
そして、我々の今生でのテーマは「喜ばれる存在になる」ということ。
「喜ばれる存在になる」になるため…
ひたすら、自分を磨き続けたい。
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小林正観さんの心に響く言葉より…
お釈迦様のこんなお話があります。
弟子にこう聞かれました。
「お師匠様は神通力に優れ、人の前世や来世が見えるとのことですが、私の前世はどんなものだったのでしょうか」
お釈迦様はこうお答えになりました。
「そんなことは考えなくていいから、こんにち、ただ今、この刹那(せつな)を大事にしていきなさい」
弟子はしばらくして、また聞きました。
「私の前世を教えてください」
お釈迦様はまた、静かにこう言いました。
「そんなことは考えなくていいから、こんにち、ただ今、この刹那を大事にしていきなさい」
「念」という字を考えた人も、お釈迦様も、多分、宇宙から同じことを教えてもらったのではないかと思います。
時代を超えた、時空間を超えた事実があります。
私も時々「私の前世はなんだったと思いますか?」と尋ねられることがあり、そのたびにお釈迦様の答えを引用しています。
そして、時にこのように答えます。
「かりに前世で強盗や詐欺をおかしていたとしましょう。
だとすると、今生に生まれ出たテーマはなんだと思いますか?」
「わかりません」
「今生では、動植物すべての存在たちから喜ばれる存在になる、ということではないでしょうか」
「なるほど」
「では、前世で多くの存在から喜ばれる存在だったとしましょう。今生でのテーマはなんでしょうね」
その人は答えられませんでした。
私は言いました。
「今生でのテーマは、もっと喜ばれる存在になりなさいということではないでしょうか。
そう考えたら、前世が何者であったかはどうでもいいということになりませんか?
今生でのテーマは、いかに多くの存在から喜ばれる存在になるか、ということですよね」
「念」という言葉は、「自分の思いどおりの未来をつくる」という意味に使われてきました。
しかし、本当の意味はそんな未来的な意味は含まれていないと思います。
「念」とは「今」の「心」でしかない。
そして、かりに目の前の人を大切にし、目の前のこと一つひとつを大事にやっていったとします。
その「念」 を入れた生き方は、確実に未来に繋がっていくでしょう。
「今」が独立して存在しているわけではないのです。
「今」の積み重ねが、「未来」をつくっているのです。
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小林正観さんは「念を入れて生きる」についてこう語っている。
『「念」という字を分解すると、「今」と「心」と書く。
今、目の前にいる人、目の前にあることを大事にする心のこと。
つまり、目の前にいる人に喜んでもらう生き方。
愚痴や悪口や不平不満を言わず、明るく感謝の心で接すること。』
我々は、「今」というこの時間と、「ここ」という空間以外には存在しない。
だから、どこまでいっても「今、ここ」しかない。
明日になっても、「今、ここ」だ。
そして、それがずっと続く。
中村天風師はそれを、「一度だけの人生だ。だから今この時だけを考えろ。過去は及ばず、未来は知れず。死んでからのことは宗教にまかせろ」と言った。
前世がどうであろうが、我々には今しかない。
そして、我々の今生でのテーマは「喜ばれる存在になる」ということ。
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