人の心に灯をともす 5972 来たバスには乗ってみろ
【来たバスには乗ってみろ】5972
荒俣宏(あらまたひろし)氏の心に響く言葉より…
ときどき、「荒俣さんは好きな研究をしているから、自由で楽しそうでうらやましい」といわれることがある。
でも、うらやましがられることなど何もない。
幼稚園のときから変人だのアマノジャクだのとからかわれ、いじめられたから、孤立していた。
家で飼っているヤドカリやコオロギだけが友達だった。
ただし、わたしは好きなことだけしているわけでもなかった。
正直にいえば、どんな仕事もやってみるとおもしろくなるのだ。
大学卒業後、就職は魚類に興味があったから水産会社に勤めたのだが、配属されたのは漁船に資材を詰めこむ部署で、その後は思いもよらぬコンピュータ室だった。
3日で辞めようと思ったが、4日も頑張ってみたら、デジタル機器のおもしろさを発見して10年近く勤務した。
そこで知ったのは、「来たバスには乗ってみろ」という至言だった。
やれば、何でもおもしろくなるのだ。
今振り返ると、日本ではまだ専門の学者が生まれてもいない特殊文化ばかりだったから、好きなことを進めるには長い時間とコストがかかった。
本を買うにしても、話を聞くにしても、その資料検索や現地検索が困難で、コスト・パフォーマンスが悪かった。
そこで気づいたのは、「好き」とは一線を超えることだ、という事実だった。
恋愛でもそうだが、一線を超えると、平穏で退屈な毎日が一気にさま変わりし、喜びも悩みも格段に大きくなる。
つまり、平穏な日常が消滅する。
たとえばゲームを好きになったら、昼も夜もなくなるし、場合によると日々の食事や休息もおろそかになるように。
まあ、プランクトン研究やら芋虫の変態の神秘やら、興味深いが日常生活においては毒にも薬にもならない探究に魅せられると、いつのまにか読書と、その道の先達との狭い、面倒なお付き合いだけの、あまり歓迎されない社会人と化すほかはないのだ。
このような場合、好きになった分野が運悪く日常生活に害もなく益もないと、まわりから「変人」と思われることになる。
この趣味がやっと世間に認められるには、苦節30年あまりを必要とする。
それでやっと「変な物知り」として認知されてはじめて、それまでの無茶苦茶な暮らし方も親不孝も大目に見てもらえるようになる。
我が家では、わたしが会社勤めを辞めて物書きを生業にすると決めたとき、母は「世間様から笑われる」といって悲しんだ。
作家なぞという仕事は、ふつうの人たちにとって当時は「失業」と同義だったので、テレビのUFO番組に出演したりすると、「いつまで宇宙に行ってるのかい」と叱られた。
そういうハンデを乗り越えるにはそれなりの覚悟がいる。
けれども、こういう困難はかならず、あとで自分の宝となるし、自分の「物語」の一部となって記憶される。
人生なんて、結局は自分の物語を一生かけてつくっていくようなものだ。
なぜなら、その物語があとでみんなに記憶される「あなた」になるからだ。
だから、何をやるにしても、ぜんぶが「自分」というジグソーパズルのワンピースになる。
『すぐ役に立つものはすぐ役に立たなくなる』プレジデント社
https://q.bmd.jp/91/119/5873/__no__
クランボルツ教授が唱える「プランドハプンスタンス理論(計画的偶発性理論)」というキャリアの理論がある。
個人のキャリアの8割が、予想できない偶然の出来事によって左右されるというものだ。
それは、「慎重に立てた計画より、想定外の出来事や偶然の出来事が、キャリアに影響を与えている」、「人生には偶然の出来事はかなり頻繁に起きている」ということ。
会社での配転なども、自分の意志とは無関係に行われる。
そのときは、自分の意にそわない部署に配転されたとしても、後から考えるとそれが自分に一番合っていた、その経験が驚くほど役に立ったというようなことは人生では頻繁に起こる。
だから、「来たバスには乗ってみろ」ということだ。
最初は拒否感があっても、続けていると好きになったり、興味がわいてくる。
なんでも面白がって、好奇心全開の人だ。
反対に、面白がれない人、好奇心の薄い人は、どんな仕事についても、不平不満が多くなる。
人生を楽しめない、ということだ。
また、「一線を超える」とは、一種の狂気が発令されることだ。
追い詰められたとき、超えられなかった深い谷を、エイヤと、飛び越えるような感じだ。
そこでは、狂気のような、火事場の馬鹿力が発揮される。
すると「平穏で退屈な毎日が一気にさま変わりし、喜びも悩みも格段に大きくなる」。
違う次元に到達した、ということだ。
「来たバスには乗ってみろ」という言葉を胸に刻みたい。
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荒俣宏(あらまたひろし)氏の心に響く言葉より…
ときどき、「荒俣さんは好きな研究をしているから、自由で楽しそうでうらやましい」といわれることがある。
でも、うらやましがられることなど何もない。
幼稚園のときから変人だのアマノジャクだのとからかわれ、いじめられたから、孤立していた。
家で飼っているヤドカリやコオロギだけが友達だった。
ただし、わたしは好きなことだけしているわけでもなかった。
正直にいえば、どんな仕事もやってみるとおもしろくなるのだ。
大学卒業後、就職は魚類に興味があったから水産会社に勤めたのだが、配属されたのは漁船に資材を詰めこむ部署で、その後は思いもよらぬコンピュータ室だった。
3日で辞めようと思ったが、4日も頑張ってみたら、デジタル機器のおもしろさを発見して10年近く勤務した。
そこで知ったのは、「来たバスには乗ってみろ」という至言だった。
やれば、何でもおもしろくなるのだ。
今振り返ると、日本ではまだ専門の学者が生まれてもいない特殊文化ばかりだったから、好きなことを進めるには長い時間とコストがかかった。
本を買うにしても、話を聞くにしても、その資料検索や現地検索が困難で、コスト・パフォーマンスが悪かった。
そこで気づいたのは、「好き」とは一線を超えることだ、という事実だった。
恋愛でもそうだが、一線を超えると、平穏で退屈な毎日が一気にさま変わりし、喜びも悩みも格段に大きくなる。
つまり、平穏な日常が消滅する。
たとえばゲームを好きになったら、昼も夜もなくなるし、場合によると日々の食事や休息もおろそかになるように。
まあ、プランクトン研究やら芋虫の変態の神秘やら、興味深いが日常生活においては毒にも薬にもならない探究に魅せられると、いつのまにか読書と、その道の先達との狭い、面倒なお付き合いだけの、あまり歓迎されない社会人と化すほかはないのだ。
このような場合、好きになった分野が運悪く日常生活に害もなく益もないと、まわりから「変人」と思われることになる。
この趣味がやっと世間に認められるには、苦節30年あまりを必要とする。
それでやっと「変な物知り」として認知されてはじめて、それまでの無茶苦茶な暮らし方も親不孝も大目に見てもらえるようになる。
我が家では、わたしが会社勤めを辞めて物書きを生業にすると決めたとき、母は「世間様から笑われる」といって悲しんだ。
作家なぞという仕事は、ふつうの人たちにとって当時は「失業」と同義だったので、テレビのUFO番組に出演したりすると、「いつまで宇宙に行ってるのかい」と叱られた。
そういうハンデを乗り越えるにはそれなりの覚悟がいる。
けれども、こういう困難はかならず、あとで自分の宝となるし、自分の「物語」の一部となって記憶される。
人生なんて、結局は自分の物語を一生かけてつくっていくようなものだ。
なぜなら、その物語があとでみんなに記憶される「あなた」になるからだ。
だから、何をやるにしても、ぜんぶが「自分」というジグソーパズルのワンピースになる。
『すぐ役に立つものはすぐ役に立たなくなる』プレジデント社
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クランボルツ教授が唱える「プランドハプンスタンス理論(計画的偶発性理論)」というキャリアの理論がある。
個人のキャリアの8割が、予想できない偶然の出来事によって左右されるというものだ。
それは、「慎重に立てた計画より、想定外の出来事や偶然の出来事が、キャリアに影響を与えている」、「人生には偶然の出来事はかなり頻繁に起きている」ということ。
会社での配転なども、自分の意志とは無関係に行われる。
そのときは、自分の意にそわない部署に配転されたとしても、後から考えるとそれが自分に一番合っていた、その経験が驚くほど役に立ったというようなことは人生では頻繁に起こる。
だから、「来たバスには乗ってみろ」ということだ。
最初は拒否感があっても、続けていると好きになったり、興味がわいてくる。
なんでも面白がって、好奇心全開の人だ。
反対に、面白がれない人、好奇心の薄い人は、どんな仕事についても、不平不満が多くなる。
人生を楽しめない、ということだ。
また、「一線を超える」とは、一種の狂気が発令されることだ。
追い詰められたとき、超えられなかった深い谷を、エイヤと、飛び越えるような感じだ。
そこでは、狂気のような、火事場の馬鹿力が発揮される。
すると「平穏で退屈な毎日が一気にさま変わりし、喜びも悩みも格段に大きくなる」。
違う次元に到達した、ということだ。
「来たバスには乗ってみろ」という言葉を胸に刻みたい。
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