人の心に灯をともす 6083 「秒刻み」と「ゆったり」の時間

【「秒刻み」と「ゆったり」の時間】6083



明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…


外国人が日本に来てまず驚くのが、街の清潔さと電車の時刻表通りの運行だ。

成田空港で子どもがビニール袋を手に、ゴミ箱を探して走り回ってゴミを拾っている姿を見た中国人が、その驚きをブログに書いていた。

列車の定刻発車も機械のように正確で、一分遅れただけで「申し訳ありません」とアナウンスされる。

山手線のようなグルグル回っている環状線でも何分遅れなどとアナウンスがある。


その原因の多くは、カバンがドアに引っかかったとか客が線路内に立ち入ったなどと客の責任に帰することがほとんどだ。

ある種、強迫観念のような潔癖症的な感覚にとらわれている日本人は、誰も彼も日々イライラしているように見える。

特に公共の場では、人々のイライラは余計に募る。


「なんで釣り銭をもっと早く用意しておかないんだ」 「いつまで待てばいいんだよ」

いまの時代はそれがどんどん秒刻みになってきている。


フーテンの寅さんの映画に出てくる風景は、昭和三十年代、四十年代を知っている人には、それほど珍しい風景ではない。

ゆったりと時間は流れ、人々の表情にも余裕が見られる。

別に寅さんのまわりだけ取り立ててそうだったのではなく、だいたいみんな、同じ感じだった。

あの時代は秒単位で生きていない。


釣り銭が遅いといってイライラする人もいない。

お店の人と会話しないで買うこともない。

理想を言えば、私はそういう社会にこれからもう一度戻るべきだと思う。


私は時間感覚は二種類持つほうがいいと思う。

一つは寅さん流の緩やかな時間感覚。

これが日本人の本来の姿といえる。


もう一つはスピード命の資本主義社会だからこそ、いろいろなものごとをテキパキとこなす秒刻みの時間感覚。

この二種類の時間感覚を両輪にして回すのが、私の人生のイメージである。


寅さん不在の効率主義の社会は殺伐として耐えがたい。

他方でスピード感が最優先の、自分のかかわる仕事に寅さん的人物が介在すれば、仕事が遅くてイライラの原因となる。

そう考えていくと、ゆったりとした寅さんモードと、効率を重視した秒刻みモード の二つをギアチェンジしながら使っていけると、相当生きやすくなる。


『“ちょっと尊敬”される人になる本』三笠書房
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多くの現代人は、ほんの数秒が待てなくてイライラする人が多い。


「電車の改札の前で立ち止まって、そこでSuicaやスマホを探す人」

「エレベーターのドア付近にいるのに、上か下かボタンを押さないでボーっとしている人」

「レジで電子決済なのに、もたもたしてスマホやカードがなかなか出てこない人」


秒単位の社会が加速すればするほど、人は「他人のペースの遅さ」に過敏になる。

ちょっとした遅れや、モタモタした動作に、すぐにイライラしてしまい、寛容さが消える。



また、反対に寅さんモードで、ゆったりと時間が流れていくときもある。

「海をボーっとながめているとき」

「公園のベンチに座って、小鳥のさえずりや風の音を聞くとき」

「知らない町を目的も決めずに歩いているとき」

「休日の朝、目覚ましをかけずにゆっくりと起きたとき」


今日は急がなくていいと、思った瞬間に、ゆったりとした「心の余白」が生まれる。

なにかに追い立てられない時間。

他人のセカセカしたリズムではなく、自分のゆったりとしたリズムで動く時間。

「ボーっとする」「ゆるむ」「肩の力が抜ける」「ぼんやりする」「ゆったりする」・・・。


「秒刻み」と「ゆったり」の時間を大切にする人でありたい。





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