人の心に灯をともす 3022 暗いと思えば暗いし、明るいと思えば明るい

【暗いと思えば暗いし、明るいと思えば明るい】3022


小林正観さんの心に響く言葉より…


ある年の元旦に私は800枚ほどの年賀状をいただきました。

その中に数枚、これはちょっと二度は読みたくないと思うものがありました。

それは「不況」「暗い」「先行き不透明」「閉塞(へいそく)状況」「リストラ」「暗い出来事」「イヤな出来事」…という言葉が文章のあちこちにちりばめられ、数行にわたって同じようなことが書かれていました。


「世の中は暗く、悲惨な出来事や暗い出来事ばかりが起きる時代である。そんな時代でもなんとかしなければならない。どうしたらこの暗い状況を打ち破ることができるか模索中であり、頑張りたい」というような文章です。

この年賀状をくださった方と会っても、あまり楽しい会話にはなりそうにない。

その人と話していても出てくる言葉は、「閉塞状況」や「悲惨な出来事ばかりの世の中」や「いったいこの世の中、どうなってしまうんでしょうか」というような話に終始すると思うからです。

誰もが新年を明るく迎えたいという年の初めから、そんな気持ちが滅入るようなことを言う人とは、その後も話をしたいとは思わなくなってしまうかもしれません。


宇宙の原理・原則として、「投げかけたものが返ってくる。投げかけないものは返らない」というのがあります。

「愛すれば愛される。愛さなければ愛されない」

「嫌えば嫌われる。嫌わなければ嫌われない」


明るい1年のはじめの手紙(メッセージ)でありながら暗い年賀状を出す人は、そういう投げかけをした結果として、その人のそばには明るい心を持った人が寄ってこなくなってしまうのです。

そして、その暗い年賀状を何百枚も友人に送りつけた人は、その年、「なぜか明るい人が寄って来ないな。集まってくる人は暗い人ばかりだ」と思うのではないでしょうか。

当然、そうやって暗い言葉で時代分析をしている人同士で集まり、「そうだ、やっぱり暗いな」と毎日を嘆くような話ばかりすることになります。


一方で、「世の中は自分の取り方次第、決して暗いわけではなく、自分が暗いと思えば暗いのだし、明るいと思えば明るいということ。楽しいと思えば楽しいんだ」と思っている人たちは、同じように思っている人たちで集まり、楽しい話で盛り上がることになるのです。


私たちはよく「陰と陽」、「光と闇」というような言葉を使います。

しかし、よく考えてみると、「光」と「闇」とが50対50の同じ力を持っているのではないことに気づきます。

「光」と「闇」は等分に力を持っているのではなく、100対0なのです。

「光」が100で、「闇」は0。


「闇」は「光」に対抗する力をまったく持っていません。

「光」がなくなったときだけ「闇」は存在できるのです。

「闇」には独立した力があるわけではない、ということを、ぜひ知ってほしいと思います。


人生を歩んでいくとき、そこが「闇」だったとしても、自分自身が「光」となれば、そこは光るのです。

もし、私たちがいつも「嬉しい」「楽しい」「幸せ」「愛してる」「大好き」「ありがとう」という言葉を言い、笑顔と優しさにあふれていたら、歩む道すべてが光に満ちあふれることになるのです。


《世の中を 暗い暗いと嘆くより 自ら光って 世の中照らそう》


『ただしい人から、たのしい人へ』廣済堂出版




小林正観さんは「明るさ」についてこう語る。(22世紀への伝言)より

『明るさとは、陽気で社交的、冗談も上手というような人が、ここで言う明るい人なのではありません。

人々を慈しみ、希望や展望を与える人です。

そこまでできなくても、「不平不満」「愚痴」「泣きごと」「悪口」「文句」の五つを口にしない人のことです』


未来を明るく語れる人は、明るい人。

未来を暗く語る人は、暗い人。

どちらの人が魅力的なのかは言うまでもない。


明るい人は、人に希望の灯をともすことができる。

自ら光って、明るく、たのしい人になりたい。








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