人の心に灯をともす 3632 武士の家計簿

【武士の家計簿】3632



磯田道史氏の心に響く言葉より…


加賀藩は数学の盛んな藩であったが、それでも算術の人材は不足していた。

近世武士の世界は世襲の世界である。

算術は世襲に向かない。

個人の出来・不出来が如実にあらわれるからである。

親は算術が得意でも、その子が得意とは限らない。

したがって、藩の行政機関は、どこもかしこも厳しい身分制と世襲制であったが、ソロバンがかかわる職種だけは例外になっており、御算用者は比較的身分にとらわれない人材登用がなされていた。

幕府の勘定方も同様であった。


算術に優れた者が「養子」のかたちで入ってきていた。

そうしなければ役所が機能しないからである。


実は「算術から身分制度がくずれる」という現象は、18世紀における世界史的な流れであった。

それまで、ヨーロッパでも日本でも、国家や軍隊をつくる原理は「身分による世襲」であった。

ところが、近世社会が成熟するにつれて、この身分制はくずれはじめ、国家や軍隊に新しいシステムが導入されてくる。

近代官僚制というものである。

官吏や軍人は「生まれによる世襲」ではなく「個人能力による試験選抜」によって任用されるようになる。


最初に、この変化がおきたのは、ヨーロッパ・日本ともに「算術」がかかわる職種であった。

18世紀には、数学が、国家と軍隊を管理統御するための技術として、かつてなく重要な意味をもつようになっており、まずそこから「貴族の世襲」がくずれた。

軍隊でいえば、「大砲と地図」がかかわる部署である。

フランスでもドイツでも、軍の将校といえば貴族出身と相場がきまっていたが、砲兵将校や工兵、地図作成の幕僚に関しては、そうではなかったという。

弾道計算や測量で数学的能力が必要なこれらの部署は、身分にかかわらず、平民出身者も登用されたのである。


余談ではあるが、ナポレオンが砲兵将校であったことは興味深い。

貴族とはいえ、コルシカ島の出身で差別をうける彼が砲兵将校の道を選んだのは、将来の出世を考えれば当然であった。

そして結局、平民出身者の多い砲兵をひきつれて革命側につき、政権をうばってフランスの身分制にとどめを刺し、近代国家への扉をひらいたのである。


日本でも、同じことがいえる。

18世紀後半以降、幕府や藩は、もともと百姓町人であった人々を登用し、彼らの実務手腕に依存して行政をすすめるようになる。

百姓や町人の出身者に扶持・名字帯刀・袴着用などの特権を与えて、武士の恰好をさせ、行政をゆだねる傾向が強まった。

武士と百姓町人の中間身分の存在が政治に大きな影響をあたえるようになったのである。

百姓であったはずの庄屋は幕府や藩の役人のようになっていく。

彼らはソロバンも帳簿付けも得意であり、実務にたけていた。

そして、次第に政策決定にまで影響をおよぼすようになるのである。

さらにいえば、明治国家になってからも、このような実務系の下士が、官僚・軍人として重要な役割を果たすことになるのである。


『武士の家計簿「加賀藩御算用者」の幕末維新』新潮新書






武士の時代にあって、この数学ができる実務者が登用されるという現象が、現代の官僚制のもとをつくったわけだが(この制度が機能しているかどうかは別にして)、現代における数学ができる実務者とは、ITやAIのリテラシーのある者だといえる。

ITやAIには、数学的(理系的)センスが必要だ。

これは、経営においても同じで、専門的な知識は必要ないが、数学や論理学が理解できないと大きく活躍することはできない。

経営には数字やロジックが絶対に必要だからだ。


マイクロソフトのビル・ゲイツも子供の頃から、算数と理科が好きだったという。

アメリカの長者番付にランクインする人の多くが、技術系の出身だ。


成毛眞氏は「もっと理系のセンスを磨け」という。(AI時代の人生戦略 「STEAM」が最強の武器である /SB新書)より

『サイエンスやテクノロジーに無頓着であることは、命にさえかかわってくるわけだ。

では、どうすればいいのか? シンプルに言おう。

STEM+Aの「STEAM」を学べばいい。

STEMとは、 サイエンス(科学)の「S」、テクノロジー(技術)の「T」、エンジニアリング(工学)の「E」、マセマティクス(数学)の「M」、を並べた造語だ。

今やアメリカの教育界でSTEMは常識になっているが、これに「A」を加えた「SETEAM」という言葉も生まれている。

Aはアート(芸術)のAだ』


旧来の仕組みが大きく変わる現代、たとえ文系の人であろうと、理系的素養は必須だ。

大変革の時代、理系的センスを磨きたい。







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