人の心に灯をともす 4851 慎獨(しんどく)

【慎獨(しんどく)】4851


伊與田覺(いよたさとる)氏の心に響く言葉より…


「君子は、必ず其(そ)の獨(ひとり)を慎(つつし)むなり」

立派な人物というものは自分独りでいる時、つまり他人が見ていない時でも己をしっかりと律していくという意味です。

『大学』ではこの「慎獨(しんどく)」を非常に重視し、人物になるための一番の基本としています。


慎獨の大切さを理解するため、さらに『大学』を紐解(ひもと)いてゆきましょう。

「小人間居(かんきょ)して不善を為(な)し、至らざる所無し」

小人とはつまらない人、ここでは普通の人といってもいいでしょう。

要するにほとんどの人は、暇があってゆっくりしているとろくなことをしでかさないということです。


例えば定年を迎えれば、それまで自分を束縛していたものから解放され、毎日が日曜日となります。

しかし、そこで慎獨に努め、自分をさらに練り上げていこうという人はよほどの人物といえるでしょう。


獄中での日々はある意味、間居の究極ともいえます。

それが独房ともなれば、狭いところに押し込められ、誰とも話をすることができず、

ただじっとしていなくてはなりません。

これは大変な苦痛であり、普通の人にはとても長く耐えられるものではありません。

無性に人恋しくなり、なんでもいいから誰かと話したくなる。

そこで少しでも優しい言葉をかけられたら、自分のやったことをついペラペ ラとしゃべってしまうわけです。


そう考えていくと、獄中で朝から晩まで読書に励んだ吉田松陰の偉大さが実感できます。

書を読む自由が許されていたとはいえ、獄中という場でさえ己を磨く努力を怠らなかった姿勢は見事です。

その姿勢は牢番や、他の受刑者をも感化し、やがて松陰を中心に獄中で勉強会が始まります。

俳句のよくできる者、書の達者な者など、それぞれが得意とすることを教え合うというもので、松陰はそこで『孟子』の講義を始めました。

しばらくして自宅謹慎となり、牢を出ることになりましたが、この講義を 途中でやめるのは惜しいということで、引き続き家族が聞き役となって松陰に最後まで講じさせました。

有名な『講孟余話(こうもうよわ)』はそのようにして出来上がったのです。


しかしながら多くの人は、長く間居するとろくなことを考えないものです。

世の娯楽は、そういう人がせめて何かに熱中し、よからぬことをしでかさないためにあるともいえます。

真に優れた人物は、そういうものは必要としません。


独りの時間に何をしているか。

自分を少しでも高めていくためにも、他人の見ていないところでも己を律し、より有意義な時を重ねてゆきたいものです。


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なぜ、このコロナという大災疫(さいやく)が、今この時期に我々に起こったのか。

それは天が「慎獨」を命じたのかもしれない。


かつての東北大震災のときは、我々は、「絆(きずな)を深める」「手を取り合う」「応援のために店に行こう」「みんなで集まって応援に行こう」と、仲間同士のつながりや絆がとても大事だとされた。

しかし、このコロナ禍(か)においては、「人と距離をとれ」「近づくな」「集まるな」「不要不急なことで出歩くな」「人の集まるところには行くな」「ステイホーム」と、かつての価値観とは恐ろしいほど違ってしまった。

つまり、独りになったときに、どんな生き方をするのか、ということだ。


人生100年時代が到来すると言われている。

働き方改革や、副業、リモートなど、仕事のやり方や考え方は変化し、それがコロナ禍により加速した。

そして、余暇の時間や、定年後の時間も恐ろしいほど増えている。

独りでいる時間が長くなったのだ。


人物になるための一番の基本が「慎獨」だという。

小人が間居(閑居)して、ロクなことをしないために娯楽があるという。

しかし、真に優れた人物は娯楽を必要としない。


それを、森信三先生は、

「休息は睡眠時間以外不要という人間になること。

すべてはそこから始まるのです」

と、厳しい言葉で諭(さと)されている。


今年一年、「慎獨」に努め、己を律し、練り上げたい。






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