人の心に灯をともす 5249 我々は、何も持たずに生まれてきた

【我々は、何も持たずに生まれてきた】5249



浜松医大名誉教授、高田明和(あきかず)氏の心に響く言葉より…


「裸にて生まれてきたに何不足」という言葉があります。


もともとわたしたちは何ももたずに生まれてきたのです。

そして何ももたずに死んで行くのです。

財産といっても自分のものではないのです。

死ぬときにもって行けないのですから。


達磨大師は「この世に自分のものといわれるようなものは何もない。それなのに自分の所有物があるように思っている。それは盗んでいるようなもので、自分のものではないのだ」と述べています。

わたしたちの体が自分のものであるなら、「老いない」「白髪にならない」「病気にならない」などということができるはずです。

ところが自分ではできないのです。

年老いるままに老いるしかないのです。

このことは体も自分のものではないということを示しています。


自分のものと思うから執着します。

自分のものになると思うから、欲しいと思い、自分のものにしたいと思うのです。

これは本能的なものなのです。

しかし、欲しいということが自分を苦しめるということになるなら、もう一度本質にかえってみるべきです。

欲しくて手に入れたものも、結局自分のものではないということを自覚すべきだと思い ます。


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我々の身体は「天から借りている」と言われる。

自分のものではなく、天からのお預かりもの。

つまり、期限がきたら天にお返ししなくてはならない。

だからこそ、大事に使わなくてはならない。


借りたアパートやマンションは、返すとき、部屋が汚れていたり、傷ついていたら、原状回復するのに補修費用や退去費用がかかる。

これは、人も同じで、身体を傷つけたり、乱暴に扱ったりしたら、補修費用もかかるし、「寿命が短くなる」という違約金や退去費用がかかる。


「裸にて生まれてきたに何不足」


俳人、小林一茶の作だと言われる。


仏教では、貪瞋痴(とんじんち)のことを、人間を迷わせ、悩ませる「心の三毒」という。

「貪欲(とんよく)」とはむさぼることで、お金が欲しい、あれを買いたい、これが欲しいと貪(むさぼ)り、求め続けること。


「瞋(じん)」は、嫌いなものを憎み、嫌悪することで、「痴(ち)」は、愚痴のこと。


命あることを感謝せずに、あれが欲しい、これが欲しいと際限がないのが我々凡夫(ぼんぷ)。

「裸にて生まれてきたに何不足」

今、生かされている幸せに感謝できる人でありたい。







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