人の心に灯をともす 5874 道は無窮(むきゅう)

【道は無窮(むきゅう)】5874



藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…


「道は無窮(むきゅう)」という。

道に限りはない。

人生、これでいいということはない。



この思いを示す道元の言葉がある。

「学道の人、もし悟りを得るも、今は至極と思うて行道(ぎょうどう)を罷(や)むことなかれ。

道は無窮なり。

悟りてもなお行道すべし」


道を学ぶ人は、悟りを得てもこれでいいと思って修行をやめてはいけない。

悟っても修行を続けなければならない、というのである。



「葉隠」にもこうある。

「修行に於ては、これまで成就ということはなし。

成就と思う所、そのまま道に背くなり。

一生の間、不足不足と思いて、思い死するところ、後より見て、成就の人なり」


修行に完成はない。

死ぬまでまだまだと思って修行する。

そういう人こそ死んだ後に見ると、成就の人だと分かるの意である。



道は無窮、とは多くの先達が一致して説くところである。

最近、人間学の究極はこの言葉に尽きるのではないか、と思うようになった。


それを釈迦が端的に表現している。

「上求菩提(じょうぐぼだい) 下化衆生(げげしゅじょう)」である。


どこまでも自分という人間を向上させていくこと。

それが「上求菩提」である。

「下化衆生」とはその自分をもって人のために尽くしていくこと。


人は何のために生きるのか。

何のために働くのか。

何のために学ぶのか。

そのすべての問いに対する答えをこの言葉は包含(ほうがん)している。


人生の法則はシンプルである。それを身につけるには一生を要する。


『小さな修養論 4』致知出版社
https://q.bmd.jp/91/119/4195/__no__





本書の中に「一生、自己丹誠(たんせい)」という話があった。

『禅の高僧、松原泰道(たいどう)師は「生涯現役、臨終定年」を座右銘とされていたが、その銘の通り、亡くなられる三日前まで有志の集いで法話をされ、戻られると、「のどがかわいた。ビールが飲みたい」と横になられた。

その三日後に百一歳の天寿を全うされたのである。

その泰道師は晩年よく、「空しく老いないためには自分自身への丹誠が欠かせません」と言われ、「一生、自己丹誠」を目標として 日々を過ごされていた。

自分自身への丹誠は死ぬまで続けなければならない、というのである。

晩年の泰道師が杖(つえ)言葉にしていた佐藤一斎(いっさい)の言葉がある。

「たとえ視力や聴力が落ちても、見える限り聞こえる限り、学を廃(はい)すべからず」』



まさに、「道は無窮」で、一生これでいい、ということはない。

自分と言う人間を磨き続けること。

少しでも向上させていくこと。


「道は無窮」という言葉を胸に刻みたい。




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