人の心に灯をともす 5348 日本書紀とは
【日本書紀とは】5348
小名木善行(おなぎぜんこう)氏の心に響く言葉より…
日本書紀は、「稲作を中心として、よろこびあふれる楽しい国を築くには」ということをテーマとして全体を描いています。
けれどひとくちに「よろこびあふれる楽しい国」とはいっても、毎日が「よろこびあふれる楽しい」状態であれば、そのことのもたらす意義も幸せも忘れてしまって、いつしかそれを「あたりまえ」と錯覚してしまいます。
むしろよろこびも、楽しさも、苦しさや困難を乗り越えて成長したときにこそ、本当の意味でのよろこびがあるし、感動があるし、幸福感が あります。
ですから日本書紀は、それぞれの時代において、尊(みこと)たちが、苦労をしたり、取り返しのつかない失敗をしたりしながらも、それでも前向きに生きてきた物語を綴っています。
そしてそのことを、我々の祖先は神語(かむかたり)とし、我が国の史書としてきたわけです。
日本書紀の構成をわかりやすくいうと次のようになります。
「神様は、よろこびあふれる楽しい国にと、この世界をつくってくだすったんじゃ。
じゃが、よろこびも、たのしさも、毎日のことになったら誰もが、それをあたりまえにして、誰も成長しなくなってしまうじゃろ?
じゃから神様は、我々にいろいろな試練を課すんじゃ。
人生、山あり、谷ありじゃ。
ワシらの祖先はの、幾度となく、そういう試練にあい、それを乗り越え、打ち勝ち、 この国をのこしてくだすったんじゃ。
じゃから、わしらも、祖先に恥じないように、決してくじけず、あきらめず、 ひとりひとりがすこしでもよろこびあふれる楽しい国に近づけるように、日々、努力していくのじゃ。
それが、日の本の国なのじゃぞ」
だからこそ神々の諸命以(もろもろのみこともちて)を描く古事記ではなく、人々の幸せを築くための史書として、日本書紀は奈良平安の昔から我が国の一般的教本としての史書として使われてきたのです。
古事記、日本書紀に限らず、書かれたものというものは、必ず書かれた目的を持ちます。
司馬遷の史記にはじまる China の史書は、すべて、現王朝の正統性を示すためのものです。
記紀(きき/古事記と日本書紀)も史書ですが、我が国では、天皇の正統性は血筋そのものであって、その血筋は各時代に明確ですから、あらためて正統性を主張する必要がありません。
ですから古事記においては、皇室を中心とした我が国統治の根幹が、すべて神々の命を受 けたものであること、すなわち「諸命以」であることを述べ、日本書紀は一般の人々が、我が国が庶民のひとりひとりに至るまで、誰もがみな、よろこびあふれる楽しい国を目指していこうという決意を史書に仕立てているのです。
古代の日本人って、すごいと思います。
『誰も言わないねずさんの世界一誇れる国日本』青林堂
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古事記は、「諸命以(もろもろのみこともちて)」という、宇宙を創生した神々からの命令を受けて、日本をつくったという物語。
全3巻のうち、神話の時代が3分の1を占め、英雄のエピソードが多く書かれ、天皇家の正当性についてふれている。
稗田阿礼(ひえだのあれ)と太安万侶(おおのやすまろ)の2人が、4ヵ月でつくりあげた。
日本書紀は、全部で30巻あり、39年の歳月をかけてつくられた。
エピソードは古事記ほどは書かれていなくて、神話の時代は30巻中2巻のみ。
舎人親王(とねりしんのう)をはじめとして、多くの人によって39年の歳月をかけて完成した。
小名木(おなぎ)善行氏は、世界中どこの国においても、自分たちの住む国の建国の歴史や建国宣言の内容を教えていない国などない、という。
建国記念日は、神武天皇の即位日である、2月11日。
そして、神武天皇の建国の詔(みことのり/建国宣言)が日本書紀に書かれている。
我々は、今一度、古事記や日本書紀の勉強をする必要がある。
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小名木善行(おなぎぜんこう)氏の心に響く言葉より…
日本書紀は、「稲作を中心として、よろこびあふれる楽しい国を築くには」ということをテーマとして全体を描いています。
けれどひとくちに「よろこびあふれる楽しい国」とはいっても、毎日が「よろこびあふれる楽しい」状態であれば、そのことのもたらす意義も幸せも忘れてしまって、いつしかそれを「あたりまえ」と錯覚してしまいます。
むしろよろこびも、楽しさも、苦しさや困難を乗り越えて成長したときにこそ、本当の意味でのよろこびがあるし、感動があるし、幸福感が あります。
ですから日本書紀は、それぞれの時代において、尊(みこと)たちが、苦労をしたり、取り返しのつかない失敗をしたりしながらも、それでも前向きに生きてきた物語を綴っています。
そしてそのことを、我々の祖先は神語(かむかたり)とし、我が国の史書としてきたわけです。
日本書紀の構成をわかりやすくいうと次のようになります。
「神様は、よろこびあふれる楽しい国にと、この世界をつくってくだすったんじゃ。
じゃが、よろこびも、たのしさも、毎日のことになったら誰もが、それをあたりまえにして、誰も成長しなくなってしまうじゃろ?
じゃから神様は、我々にいろいろな試練を課すんじゃ。
人生、山あり、谷ありじゃ。
ワシらの祖先はの、幾度となく、そういう試練にあい、それを乗り越え、打ち勝ち、 この国をのこしてくだすったんじゃ。
じゃから、わしらも、祖先に恥じないように、決してくじけず、あきらめず、 ひとりひとりがすこしでもよろこびあふれる楽しい国に近づけるように、日々、努力していくのじゃ。
それが、日の本の国なのじゃぞ」
だからこそ神々の諸命以(もろもろのみこともちて)を描く古事記ではなく、人々の幸せを築くための史書として、日本書紀は奈良平安の昔から我が国の一般的教本としての史書として使われてきたのです。
古事記、日本書紀に限らず、書かれたものというものは、必ず書かれた目的を持ちます。
司馬遷の史記にはじまる China の史書は、すべて、現王朝の正統性を示すためのものです。
記紀(きき/古事記と日本書紀)も史書ですが、我が国では、天皇の正統性は血筋そのものであって、その血筋は各時代に明確ですから、あらためて正統性を主張する必要がありません。
ですから古事記においては、皇室を中心とした我が国統治の根幹が、すべて神々の命を受 けたものであること、すなわち「諸命以」であることを述べ、日本書紀は一般の人々が、我が国が庶民のひとりひとりに至るまで、誰もがみな、よろこびあふれる楽しい国を目指していこうという決意を史書に仕立てているのです。
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古事記は、「諸命以(もろもろのみこともちて)」という、宇宙を創生した神々からの命令を受けて、日本をつくったという物語。
全3巻のうち、神話の時代が3分の1を占め、英雄のエピソードが多く書かれ、天皇家の正当性についてふれている。
稗田阿礼(ひえだのあれ)と太安万侶(おおのやすまろ)の2人が、4ヵ月でつくりあげた。
日本書紀は、全部で30巻あり、39年の歳月をかけてつくられた。
エピソードは古事記ほどは書かれていなくて、神話の時代は30巻中2巻のみ。
舎人親王(とねりしんのう)をはじめとして、多くの人によって39年の歳月をかけて完成した。
小名木(おなぎ)善行氏は、世界中どこの国においても、自分たちの住む国の建国の歴史や建国宣言の内容を教えていない国などない、という。
建国記念日は、神武天皇の即位日である、2月11日。
そして、神武天皇の建国の詔(みことのり/建国宣言)が日本書紀に書かれている。
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