人の心に灯をともす 6005 一喜一憂しないこと
【一喜一憂しないこと】6005
齋藤孝氏の心に響く言葉より…
《不幸が「運」が悪いとは限らない》
一喜一憂しないことが技として身についていると、東洋では「腹がすわっている」とか、「人間の器が大きい」と評価されます。
中国の古典に登場する「人間万事塞翁が馬」という言葉も一喜一憂しないことの大切さを説いています。
物語をざっと説明すると、塞翁(さいおう)という老人の馬が逃げ出してしまいます。
周りの人が気の毒がりますが、塞翁は「何が幸いになるかわからない」と言って、落胆しません。
やがて逃げた馬がたくさんの良馬をつれて帰ってきます。
「運がいいですね」と今度はうらやましがられるのですが、老人は「何が災いになるかわからない」と言います。
その言葉通り、塞翁の息子が馬から落ちて怪我をしてしまいます。
これも周りからみれば不運ですが、しかし息子は怪我のおかげで、戦争に行かずにすみました。
何が幸いで何が不幸かはわからないのですから、悪いことが起きても「運がない」とは言い切れません。
いちいち一喜一憂せず、静かに受け止めるのが塞翁の心持ちです。
ここから学べるのは、ある事件が起きた時「あ、ついてない」と決めてはいけないということです。
オリンピックで優勝したスポーツ選手のインタビューでも、「あの時の負け(やケガ)があったから、今の自分がいる」という話をよく聞きます。
サッカーの本田圭佑選手もケガをした時期に、まったく別のトレーニングができたために、今までにない力を身につけることができたと言っています。
他の人から見ると、ケガをしたので「運が悪かったね」と言ってしまいそうですが、本田選手はそれをマイナスととらえずに「災い転じて福と為す」という考え方で、運のマイナスの影響を排除してしまいました。
『運の教科書』筑摩書房
https://q.bmd.jp/91/119/6461/__no__
中国の史記の中に「禍福(かふく)は糾(あざな)える縄の如し」という言葉がある。
禍(わざわい)と福は、まるで一本の縄のようにより合わさっていて、どこからが禍でどこからが福か、はっきりと分けられない。
まさに、「人間万事塞翁が馬」と同じ意味だ。
我々は往々にして、何か嫌なことがあるとすぐに、テンションが落ちたり、落ち込んでしまったりする。
しかし、一生と言う長い時間の流れの中では、禍はほんの一瞬のこと。
後から考えると、あの嫌なことがあったから今の自分がある、と思えることは多くある。
「幸運は不幸の顔をして現れる」という。
一見すると「不運」だな、と思ったことは実は「幸運」の前触れ。
不運や不幸だなと思ったとき、必要なのが、「あわてない」「くさらない」「投げやりにならない」「ふてくされない」「いじけない」という態度。
一喜一憂しない人生をあゆみたい。
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《不幸が「運」が悪いとは限らない》
一喜一憂しないことが技として身についていると、東洋では「腹がすわっている」とか、「人間の器が大きい」と評価されます。
中国の古典に登場する「人間万事塞翁が馬」という言葉も一喜一憂しないことの大切さを説いています。
物語をざっと説明すると、塞翁(さいおう)という老人の馬が逃げ出してしまいます。
周りの人が気の毒がりますが、塞翁は「何が幸いになるかわからない」と言って、落胆しません。
やがて逃げた馬がたくさんの良馬をつれて帰ってきます。
「運がいいですね」と今度はうらやましがられるのですが、老人は「何が災いになるかわからない」と言います。
その言葉通り、塞翁の息子が馬から落ちて怪我をしてしまいます。
これも周りからみれば不運ですが、しかし息子は怪我のおかげで、戦争に行かずにすみました。
何が幸いで何が不幸かはわからないのですから、悪いことが起きても「運がない」とは言い切れません。
いちいち一喜一憂せず、静かに受け止めるのが塞翁の心持ちです。
ここから学べるのは、ある事件が起きた時「あ、ついてない」と決めてはいけないということです。
オリンピックで優勝したスポーツ選手のインタビューでも、「あの時の負け(やケガ)があったから、今の自分がいる」という話をよく聞きます。
サッカーの本田圭佑選手もケガをした時期に、まったく別のトレーニングができたために、今までにない力を身につけることができたと言っています。
他の人から見ると、ケガをしたので「運が悪かったね」と言ってしまいそうですが、本田選手はそれをマイナスととらえずに「災い転じて福と為す」という考え方で、運のマイナスの影響を排除してしまいました。
『運の教科書』筑摩書房
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中国の史記の中に「禍福(かふく)は糾(あざな)える縄の如し」という言葉がある。
禍(わざわい)と福は、まるで一本の縄のようにより合わさっていて、どこからが禍でどこからが福か、はっきりと分けられない。
まさに、「人間万事塞翁が馬」と同じ意味だ。
我々は往々にして、何か嫌なことがあるとすぐに、テンションが落ちたり、落ち込んでしまったりする。
しかし、一生と言う長い時間の流れの中では、禍はほんの一瞬のこと。
後から考えると、あの嫌なことがあったから今の自分がある、と思えることは多くある。
「幸運は不幸の顔をして現れる」という。
一見すると「不運」だな、と思ったことは実は「幸運」の前触れ。
不運や不幸だなと思ったとき、必要なのが、「あわてない」「くさらない」「投げやりにならない」「ふてくされない」「いじけない」という態度。
一喜一憂しない人生をあゆみたい。
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