人の心に灯をともす 5429 千利休の美意識

【千利休の美意識】5429



火坂雅志(ひさかまさし)氏の心に響く言葉より…


《上をそそうに、 下を律義に、物の筈(はず)の違はぬ様にすべし》


地位の高い人には粗略に、逆に低い人には丁寧にし、約束に違わぬようにすべきである (千利休/山上宗二記)


時々思うのだが、千利休がいなければ、日本人の美意識は随分と違ったものになっていたであろう。

一般的に、日本人は派手なものよりも、簡素さのなかに静謐(せいひつ)な美しさを秘めたものを好む傾向にある。

建築や家具などに使われるシンプルモダンなデザインは、利休が追い求めた、わび茶 の精神の影響を色濃く受けている。


わび茶は、足利幕府八代将軍義政の文化サロンで発達した唐物崇拝の東山流の茶の湯に対し、町衆のあいだで流行りだした、より簡素な風情を愛する草庵の茶の湯をいう。

利休は東山流の茶の湯にあった虚飾を排除し、わび茶の精神性を深く掘り下げていった。

そして完成したのが、静的であり、同時に端正であり、思索的な、「わび」「さび」の世界であった。


かぎられた狭い空間での緊張を演出するため、利休は三畳、二畳、さらには一畳半という小間の茶室を考案した。

茶室に入るためには、にじり口という空間をくぐり抜けていかねばならない。

しかも、窓は小さく、内部はさながら幽明の境にいるように薄暗くしつらえた。

茶室のまわりの露地も、しっとりと苔むした深山の風情を利休は良しとした。


床に掛けるのは、華やかな絵画を排して、禅僧の墨蹟のみを用いている。

茶碗にも、その思想は鮮明に打ち出されている。

枯れわびた味のある朝鮮の井戸茶碗を多用し、やがては黒一色のさびさびとした黒楽茶碗を好むようになる。

無駄を厳しく削ぎ落とし、 「最後に残った美こそ、まことの美なり」 と、利休はおのが茶の湯をどこまでも突きつめていった。


その利休が語ったとされるのが、 ・・・上をそそうに、下を律義に、物の筈の違はぬ様にすべし、の言葉である。

利休の弟子山上宗二(やまのうえそうじ)が、師の教えを『山上宗二記』に書きとめたものだ。

茶の湯は、連歌などと同様、その世界に身分を持ち込んではならないとされている。

したがって、堂上(どうじょう)の公卿(くぎょう)でも、大名でも、豪商でも、あるいは庶民でも、茶室のうちでは対等というのが決まりである。


だが、じっさいには、茶室の外の身分を持ち込んで偉ぶろうとする者が多く、茶会を催す側もそれに縛られて余計な気遣いをしがちである。

それゆえ、身分が上の者をわざと粗略にあつかい、低い者に対しては丁重な態度で接するくらいで、ちょうど釣り合いが取れるようになると利休は言っている。


また、この言葉のなかには、豊臣秀吉との対立にいたる遠因があらわれているような気がする。

利休と秀吉の関係は、当初はきわめて良好であった。

秀吉は利休の洗練された美意識に敬意をはらい、茶頭として重んじた。

その秀吉が天下人の地位を着々と築いてゆく過程で、利休もまた、一茶頭から、秀吉側近の政治家として力をつけるようになる…。


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宮本健次氏は「侘び」についてこう書いている。


『茶人、千利休が茶道によって大成した美意識が「侘(わ)び」である。

茶の湯の「侘び」の美を岡倉天心は『茶の本』において、「不完全美」と解釈している。

侘びというのは、不完全性を美として積極的に評価しようといった概念であることがわかる。

その意図は未完の美である「幽玄美(ゆうげんび)」と、本質的には異なるものではない。』(日本の美意識/光文社新書)より



幽玄とは、物事のおもむきが深く、派手さや華やかさではない、繊細で静謐(せいひつ)な美を指す。

たとえば、雲一つない晴れ晴れとした山々を見るのもいいが、薄く雲や霞がかかっている山々を見るのも趣(おもむき)があっていい、という美意識だ。


また、江戸っ子が最下等と考えていたのが「弱者に対して威張る人」だという。

これを野暮(やぼ)の極みと言った。


茶室の中だけでなく…

弱者に対して威張る人はカッコ悪い。

日本人の美意識を大事にする人でありたい。






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