人の心に灯をともす 5504 学び続ける
【学び続ける】5504
牛尾治朗氏の心に響く言葉より…
「人間は学び続けなければならない。学ぶことをやめたら、人間でなくなる」
安岡正篤先生は、よくそんなふうに言われていたものです。
学び続けることを人に説くだけではありません。
安岡先生ご自身が終生学ぶことをやめない人でした。
安岡先生の講義をうかがうと、誰もがその博識に圧倒されたと思います。
桁違いとも言える知識の厚みに、私などはほとほと感心するほかはありませんでした。
私から見れば、安岡先生の学問は完成の域に達しているように思われました。
これ以上何を学ぶことがあるのか、という感じを抱かせたほどです。
安岡先生を囲む勉強会では、先生の講義のあとに必ず質問の時間がありました。
会によっては、宴席に移って一献酌み交わしながら、談論風発となることもありました。
同時に、安岡先生は決して生半可な知識や当て推量で答えることはありませんでした。
うろ覚えのことやはっきりしないことは、必ず「調べてみます。あとで答えましょう」と言われ、回答を保留されたものです。
そして、どんな質問にも膨大な資料を当たってきちんと調べ、次の機会に明快に答えられるのです。
あれは安岡先生が学問をこよなく愛し、愛する学問に徹底した誠実を尽くされた現れだな、といまさらのように思います。
『わが人生に刻む30の言葉』致知出版社
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佐藤一斎の有名な言葉がある。
少(わか)くして学べば、則(すなわ)ち 壮(そう)にして為すあり
壮にして学べば、則ち老いて衰えず
老いて学べば、則ち死して朽ちず
『言志晩録』の六十章に記されている言葉だから、おそらく七十歳前後の言葉と推測される。
若い時にひたむきに人間修養の道を学べば、壮年になってひと角のことができるようになる。
壮年になってもなお学び続ければ、老いても精神が衰えるようなことはなく、むしろ向上していく。
そして、老いても さらに学び続ければ、その魂は朽ちることなく、多くの人々の心を照らす光となる、ということである。
「言志四録」はその書名のように四冊の語録から成る。
それらが作成された時の一斎の年齢は次の通りである。
『言志録』 四十二歳~五十二歳(二百四十六章)
『言志後録』 五十七歳~六十六歳(二百五十五章)
『言志晚録』 六十七歳~七十八歳(二百九十二章)
『言志耋録(てつろく)』 八十歳~八十二歳(三百四十章)
驚くのは耋録(てつろく)である。
他の三語録はいずれもほぼ十年の歳月をかけて作られているが、耋録(てつろく)はわずか三年。
しかも内容の言葉の量は一・五倍に達している。
「末路晩年、君子よろしく精神百倍すべし」とは『菜根譚』にある言葉だが、一斎は年を取るほどに学ばんとする意欲が旺盛になっていたことを、この事実は示している。
以上(小さな幸福論/致知出版)より
晩年に差しかかってからは、君子たるものは、精神を百倍盛んにして、生きなければならない。
また、森信三先生は、こう語っている。
「人生の晩年に近づいたならば、青壮年の時代以上に、はるかに、心を引き締めて、人生の晩年の修養に努めねばならない」
そして、「一日読まざれば一日衰える」と。
人は一日学ばなければ、一日衰え、老いる。
いくつになっても、学び続ける人でありたい。
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牛尾治朗氏の心に響く言葉より…
「人間は学び続けなければならない。学ぶことをやめたら、人間でなくなる」
安岡正篤先生は、よくそんなふうに言われていたものです。
学び続けることを人に説くだけではありません。
安岡先生ご自身が終生学ぶことをやめない人でした。
安岡先生の講義をうかがうと、誰もがその博識に圧倒されたと思います。
桁違いとも言える知識の厚みに、私などはほとほと感心するほかはありませんでした。
私から見れば、安岡先生の学問は完成の域に達しているように思われました。
これ以上何を学ぶことがあるのか、という感じを抱かせたほどです。
安岡先生を囲む勉強会では、先生の講義のあとに必ず質問の時間がありました。
会によっては、宴席に移って一献酌み交わしながら、談論風発となることもありました。
同時に、安岡先生は決して生半可な知識や当て推量で答えることはありませんでした。
うろ覚えのことやはっきりしないことは、必ず「調べてみます。あとで答えましょう」と言われ、回答を保留されたものです。
そして、どんな質問にも膨大な資料を当たってきちんと調べ、次の機会に明快に答えられるのです。
あれは安岡先生が学問をこよなく愛し、愛する学問に徹底した誠実を尽くされた現れだな、といまさらのように思います。
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佐藤一斎の有名な言葉がある。
少(わか)くして学べば、則(すなわ)ち 壮(そう)にして為すあり
壮にして学べば、則ち老いて衰えず
老いて学べば、則ち死して朽ちず
『言志晩録』の六十章に記されている言葉だから、おそらく七十歳前後の言葉と推測される。
若い時にひたむきに人間修養の道を学べば、壮年になってひと角のことができるようになる。
壮年になってもなお学び続ければ、老いても精神が衰えるようなことはなく、むしろ向上していく。
そして、老いても さらに学び続ければ、その魂は朽ちることなく、多くの人々の心を照らす光となる、ということである。
「言志四録」はその書名のように四冊の語録から成る。
それらが作成された時の一斎の年齢は次の通りである。
『言志録』 四十二歳~五十二歳(二百四十六章)
『言志後録』 五十七歳~六十六歳(二百五十五章)
『言志晚録』 六十七歳~七十八歳(二百九十二章)
『言志耋録(てつろく)』 八十歳~八十二歳(三百四十章)
驚くのは耋録(てつろく)である。
他の三語録はいずれもほぼ十年の歳月をかけて作られているが、耋録(てつろく)はわずか三年。
しかも内容の言葉の量は一・五倍に達している。
「末路晩年、君子よろしく精神百倍すべし」とは『菜根譚』にある言葉だが、一斎は年を取るほどに学ばんとする意欲が旺盛になっていたことを、この事実は示している。
以上(小さな幸福論/致知出版)より
晩年に差しかかってからは、君子たるものは、精神を百倍盛んにして、生きなければならない。
また、森信三先生は、こう語っている。
「人生の晩年に近づいたならば、青壮年の時代以上に、はるかに、心を引き締めて、人生の晩年の修養に努めねばならない」
そして、「一日読まざれば一日衰える」と。
人は一日学ばなければ、一日衰え、老いる。
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