人の心に灯をともす 5599 「運」を招き入れるには

【「運」を招き入れるには】5599



春日大社権宮司、岡本彰夫(あきお)氏の心に響く言葉より…



世の中には「運」のいい人と悪い人がいます。

いくら実力があっても、運のない人は活躍する場所を与えられず、世に出ることはありません。

ところが、運のいい人は活躍する場所も与えられ、それにつれて自分の力量以上の力を発揮することができ、予想外の展開を得ることがあります。


つまり、運と実力は決してイコールではなく、運は人間の力ではどうすることもできません。

では、「運」という不思議な存在を寝て待っていればいいのか。

あるいは、「運」は偶然でしかまわってこないものなのか。


そうではありません。

「運」は自分で切り開き、呼び寄せるものです。

『続日本紀(しょくにほんぎ)』という奈良時代の歴史書によると、神亀(じんき)二(七二五)年七月十七日、 聖武天皇が一つの詔勅(命令)を出されています。

それは「七道(しちどう)諸国の社寺を清浄にするため、神社とお寺をきれいに掃除せよ」というご命令で、その中に「わざわいを除き祥(さきわい)を祈ることは、必ず幽冥(ゆうめい)に憑(よ)り、神を敬い仏を尊ぶことは清浄を 先となす」と書かれています。

これは、「災いを除き、幸せを祈ることは、目に見えない世界のお力なくしてはとても叶えられない」という意味です。


目に見えない漠然とした「運」という存在を招き寄せるためには「幽冥に憑(よ)る」、 つまり、神仏・祖先の力をお借りしなければなりません。

見えぬ世界とはウソやマヤカシがない真実の世界です。

目に見えぬ世界からご加護をいただこうと思えば、目に見えぬ世界に対し、真実の愛を捧げなければ通じることはないのです。


人間の世界は、計算の上に成り立っていることが多い。

「この人と親しくするのは損か得か」「今ここでこう言っておけば、将来きっとこうなるだろう」など、 さまざまな打算が心の中に浮かんできます。


これに対して、打算のない真実の世界が「幽冥」です。

打算のない愛を捧げ尽くしていれば、いつしか天に通じ、見えない世界、つまり、神や仏や祖先たちが 力をお貸しくださるのです。


「幽冥に憑(よ)る」とは、無私の愛を捧げること。

そうすれば、自ずと道は開け、「運」を招き入れることができるのです。



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鎌倉時代の歌人として有名な西行法師の有名な和歌がある。

「何事のおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」


伊勢神宮に参拝した際の、言葉にならない感動を歌った歌だ。

お伊勢さまにきたら、何がどうのこうのという訳ではない、理屈ではなく、ただ涙が出てくる。



サン・テグジュペリの「星の王子さま」にもこんな言葉がある。

「さようなら」王子さまは言った。

「さようなら」キツネが言った。

「じゃあ秘密を教えるよ。とてもかんたんなことだ。ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目に見えない」


神仏も、親の恩も、愛も、情も、人の気持ちも、大事なことは、みな目に見えない。

「おかげさま」という言葉も、何のお陰なのかは理屈で考えてもわからない。


「運」もまた同じだ。

運は目に見えない。


「目に見えない世界」を大事にする人は、目に見える現実世界も同様に大事にする。

そして、丁寧に、大事に、感謝とおかげさまの心で生きる。

「目に見えない世界」をバカにしたり、信じない人は、現実世界もたかをくくって生きているようなところがある。

結局、人生をナメることになる。


特に、人生の後半生を過ぎたら、「目に見えない世界」を大事にしたい。

自分も刻一刻と幽冥の世界に近づくからだ。




「運」を招き入れるため…

感謝とおかげさまの気持ちで日々すごしたい。





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