人の心に灯をともす 5746 今、目の前の人を大事に

【今、目の前の人を大事に】5746



ひろさちや氏の心に響く言葉より…


「最近は欠席者が多い。きみたちはたるんでいるのではないか!」そう言って、学生に説教をする大学の先生がいる。

あれは矛盾である。

だって、そうでしょうよ。

叱られるべき学生は欠席者であって、出席者には罪はない。

どうして出席した者が説教されねばならないのですか・・・?


わたしはよく仏教の講演に行くが、講演会の主催者は聴衆の入りを心配される。

主催者の気持ちは分かるが、あれもおかしな話である。

「聴衆が少なくてすみません」と言われるが、それは来ていない人間を問題にしているのだ。

来ていない人間のために、せっかく来てくださった善男善女が軽視されるのは筋違いである。


来られた人々を大事にせねばならない。

それには、聴衆が少なければ少ないほど、その少数のために全力を尽くすべきだ。

聴衆が少ないからといって、講師が投げやりな態度でいると、たいてい失敗に終わる。

かりに聴衆が一人であれば、その一人が「すべて」なのである。


これは、商売だって同じであろう。

営業不振で客が少ない。

そうなるとたいてい、経営者はぼやきたくなる。

だが、その気持ちは分かるが、そこで経営者がぼやきをはじめると、せっかく来てくださっている、数少ない顧客に失礼になる。

そんなことをしていると、顧客はますます離れていって、ついには倒産になりかねない。


顧客が少なければ少ないほど、その少数の顧客を大事にすべきである。

来てくれない人間のために、せっかく来てくださった顧客が不愉快な気分になるようなことは、絶対にあってはならないことである。


《少数の顧客こそ大事にする》


『捨てちゃえ、捨てちゃえ』PHP研究所
https://q.bmd.jp/91/119/2053/__no__





小林正観さんのこんな話がある。

『ある歌手が、コンサートの直前に客席を見て、空席があることに腹を立てて帰ったことがあったそうです。

当然、コンサートは中止。

3000人ほどの規模の会場で2500人ほど入っていたそうですから、充分にお客さんは集まっていたと思います。

ただ、空席があったからそれが気に入らないというので、来てくれた人に対して自分の腹立たしさをぶつけるのは、実は本人が考えている以上に損です。

そういうことをしていると、そのうち誰からも信用されなくなります。

興行主から見ると、もうそんな危険のある人には次から頼まないようにしようと思うに違いありません。

目の前に起きている現象に対して感謝ができ、喜びを見い出すことができ、そこに幸せを感じられるようになると、自分自身がラクで楽しい、ということです。

なおかつ、地球と宇宙が味方になってくれます。』(神さまに好かれる話/五月書房)より


人は、偉くなったと錯覚したり、その状態に慣れてしまうと、傲慢になる。

はじめは、ほんの数人のお客様が来てくれただけで、嬉しくて涙が出そうになった、という初心の素直な気持ちを忘れてしまう。

不満が爆発したり、不機嫌になる人は、今ある幸せに目を向けられない人。

今、生かされていることの「ありがたさ」を忘れてしまっている。


「ありがとう」の反対は「あたりまえ」だという。

「ありがとう」は漢字で書くと「有難う」。

「有(あ)ること難(かた)し」とは、有ることがまれである、めったにない事にめぐりあうようなこと、つまり「奇跡」のようなこと。

奇跡の反対は、「あたりまえ」。


我々は、毎日起こる出来事を当たり前だと思って過ごしている。

「歩けるのが、あたりまえ」

「目が見え、耳が聞こえるのが、あたりまえ」

「毎朝目覚めるのが、あたりまえ」


今、目の前のことを大事にすること・・・

そして、今、目の前の人を大事にすること。




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