人の心に灯をともす 5905 幸福とは感じるもの

【幸福とは感じるもの】5905



植西 聰(あきら)氏の心に響く言葉より…


《幸福の青い鳥は身近にいた。いつもここにいた。》(19~20世紀のベルギーの劇作家・モーリス・メーテルリンク)


奥さんが数日間、家をあけた時、家事がまるでできない旦那さんがどんな生活を送るだろうという特集を、以前、あるバラエティ番組が放映したことがありました。

口うるさい奥さんがいないといっても、独身貴族気分が味わえるのは最初の一日だけです。

調味料がどこにあるかさえわからないので、自炊もうまくできません。

仕方なく、連日、コンビニでお弁当を買うありさまです。



掃除もきちんとできず、部屋は散らかり放題になります。

洗濯機も回したことがないので、汚れた衣服はたまる一方です。

しかも、会話する相手もいないため、夜になるとさびしくなります。


そうやって過ごすこと数日・・・。

奥さんが帰ってきた時、改めて幸福が実感できた。

幸福とは、遠いどこかにあるのではなく、家庭という身近にあったという話です。


幸福というと、私たちは往々にして「つかむもの」と考えがちです。

しかし、それは違っていて、幸福というのは「感じるもの」なのです。


仕事を終えたひと時、好きな音楽を聴くと気分が安らぐのもそうです。

がんばった時、おいしいモノを食べると気分が快適になるのもそうです。

気のおけない友達とおしゃべりすると元気になるのもそうです。


そして、それらは遠いどこかにあるのではなく、いずれも身近に存在します。

そのことを認識しておくだけでも、幸福な人生に、また一歩近づいたことになるのです。



『勇気がもてる 運命の言葉』成美堂出版
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小林正観さんのこんな話がある。


『「見てはいる」けれども、「見てはいない」ものの一つに、「幸せ」というものがあるように思えます。

結論を言ってしまえば、「幸せ」の本質は「日常」なのです。

「山のあなたの空遠く」にあるわけではありません。

例えば、偏頭痛の人がいるとします。

ずっと偏頭痛に悩んできた人は、「もしこの偏頭痛が消えてくれたら、どんなに幸せだろう」と思っていることでしょう。

そして、ある日突然、その偏頭痛が消えたら、「何もない」「静かで平穏な」日々が、どれほど「幸せ」であるか、を実感するのです。

では、その偏頭痛が今まで全くなかった人は、どれほど「幸せ」であったのか。

まさしく「幸せ」の海の中に暮らしてきたのです。』(生きる大事・死ぬ大事 死を通して見えてくる幸せな生き方/イースト・プレス)



たとえば、転んで足を骨折してしまったとする。

すると、松葉杖や車いすが必要になったり、トイレに行くにも、階段の上り下りなど、ちょっとした移動にも介助が必要となる。

普通に歩けることがいかに幸せだったのかに気づく。


そして、同様にもし、自分の妻が病院に入院してしまったら、家事のできない夫は「当たり前の暮らしの尊さ」に気づくことになる。

「幸福とは感じるもの」

そして、「幸福は日常の中にあり」、という言葉を胸に刻みたい。





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