人の心に灯をともす 4671 念を入れて生きるとは

【念を入れて生きるとは】4671



高野山真言宗功徳院住職、松島龍戒(りゅうかい)氏の心に響く言葉より…



ある日、お釈迦さまとその弟子たちが訪れたのは、多くの人がバラモン教を熱心に崇拝している村でした。

この村の農夫パーラドヴァージャは、来る日も来る日も畑仕事に明け暮れています。

今日も汗水垂らして畑仕事をしているところへ、お釈迦さまとその弟子たちが托鉢にやってきました。

「お、あれはお釈迦さまの一行だな。自分たちは働きもせず、ああやって、ただ托鉢をしているだけでその日の食べ物にありつけるんだから、まったくいい気なもんだ」


彼は、自分たちが朝から晩まで畑仕事をしていても、生活が豊かにならないことをいつも不満に思っていました。

「お釈迦さまに皮肉のひとつも言ってやりたいよ」

パーラドヴァージャは畑を通りかかったお釈迦さまを呼び止めました。


「あんたたちはこの村に托鉢に来たんだろう。

この村の人はみんな朝から晩まで畑を耕して、ようやくその日のご飯にありついているんだ。

あんたたちも少しは畑を耕したり、何か仕事をしたりして食べ物を得たらどうなんだ」


少し間を置いてお釈迦さまは、口を開きました。

「では、あなたの仕事にたとえてお答えしましょうか」


「私たちにとっては、信仰を持ち続けることが種まきなのです。

そして、その種がよく育つよう、厳しい修行に励み、知恵や反省のこころ、清らかで落ち着いたこころを持ち続けているのです。

それだけではありません。

言葉と行い、食事をつつしみ、真実を守り続けて日々過ごしているのです。

これらはすべて私たちにとっての耕作そのものなのです」


「そ、そんなのはへりつくだ!」

声を荒げるパーラドヴァージャに、続けて語りかけます。


「もしあなたが、自分の畑仕事に大きな価値と役割を感じているのであれば、私たちの仕事も同じように感じていただけるでしょう。

でもあなたが、自分の畑仕事をつらいと思っているのであれば、私たちの仕事もきっとつらいものに見えるでしょうね」


返す言葉に窮しているパーラドヴァージャに、お釈迦さまは、こう諭しました。

「あなたが手に持っている鍬をごらんなさい。

持ち手の枝の部分ひとつとっても、その木を植える人、

木を切り出す人、加工する人、さまざまな人がかかわって作られているのではありませんか。

そしてあなたはそれを手にして、畑を耕すという仕事ができているのではありませんか。

仕事に誇りを持つことはよいことです。

しかし、自分の仕事のまわりや役割があってこそ、自分の仕事ができることを忘れてはなりませんよ」


『嫌なことがスーッと消える ほとけさまの話』徳間書店
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本書の中にこんな解説があった。


『すべてが思い通りに来たと言う人は、まずいないでしょう。

置かれた境遇に不満や愚痴をこぼしていませんか。

たとえば、商品開発やデザインの部署に就きたかったのに、配属先は別の部署になった…。

あるいは、第一志望ではない会社に就職せざるを得なかった…。

「隣の芝生は青く見える」ものです。

この物語は、世の中にはさまざまな役割(仕事)があり、その価値に優劣はないことを教えてくれます。』



自分の今の立場や境遇に幸せを感じている人は、他人との比較はしない。

幸せを感じ、それに感謝しているからだ。

お釈迦さまのいう「そこに価値と役割を感じている」ということ。


しかし、不平や不満がある人は、他人と比較をする。

あの人に比べて自分は不幸だ、自分は損をしている、と。


小林正観さんは、それを「き・く・あ」の実践と言っている。

「き」とは、競わないこと。

「く」とは、比べないこと。

「あ」とは、争わないこと。


そのために必要なのが、「念を入れて生きる」ことだという。

「念」という字は、「今」と「心」からできている。

「今」を大事にする「心」ということだ。

目の前の人を大事にし、目の前のことや仕事一つひとつを大事にする生き方。

つまり、今、この瞬間を大事にすること。


すると、他のことが気にならなくなる。

念を入れて生きていきたい。






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