人の心に灯をともす 4728 二つの謙虚さ

【二つの謙虚さ】4728



小林正観さんの心に響く言葉より…


「謙虚さ」というものを、私はよく話題にします。

ひとつは、宇宙の流れや宇宙の意思に対して、自分の好き嫌いでものを選ばないこと。

ほとんど自我がないことが「謙虚さ」であると言い続けてきました。

宇宙から「こういうことをやりなさい」という提示があり、 そのような流れが始まった時、その流れに船を浮かべ、流れに抵抗せずに下って行くこと。

それこそが「謙虚さ」であるということです。


「謙虚さ」というものには、もうひとつの側面があります。

それは、自分が常に未熟であり、完成された者ではないこと、まだまだ向上する余地があると自覚することです。

そのように思っている結果として、勉強し続ける、たゆまざる努力を続けるという場合に、 これも「謙虚」であると言えます。


陥りがちなことなのですが、22歳で大学を卒業し就職すると、人間は確かにその仕事 のことについてはどんどん専門的になり、ベテランになっていきます。

しかし、それでは 仕事以外に(報酬をもらうこと以外に)自分自身を高める努力をどこかでしているでしょうか。

それが私の言う、二番目の「謙虚さ」の部分なのです。


知らないことが山ほどあります。

歴史のことも知らない、天文のことももう少し勉強したい、植物や動物の勉強もしたい...。

それらを勉強したところで、別に一銭にもなるわけではありません。

しかし、その人間の深さを深めることは間違いありません。


大学を卒業して給料がもらえるようになったからといって、他の勉強をやめていいということではありません。

専門分野のことしかほとんど知らないで、他の勉強をしていないという人が少なくないように 思います。


「謙虚さ」とは「学び続けること」です。

例えば、哲学もそのひとつでしょう。

給料がもらえて生活ができればいいのではありません。

人間は何のために生きるのか、生命や肉体は何のためにあるのか、宇宙の構造はどうなっているのか...。

そのようなことについて 自分はまだまだ勉強不足で、未熟であると思い、勉強をし続けていくこと。

それが、私の言う二番目の「謙虚さ」なのです。


基本的に「謙虚な人」というのは、大変奥が深く魅力的な人格を形成していくものです。

ですから、ぜひ「これでいい」というところに止まらず、常に「何かを学ぼう」という姿勢で生きて行ってほしいと思います。


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一つ目の謙虚さは、あれこれ論評せず、「頼まれごと」をニコニコ笑って引き受けることだ。

小林正観さんは、「頼まれごと」についてこう述べている。

『頼まれごとは「適当」にやることをお勧めします。

「適当に」というのは、『適度に』ということです。

「引き受けたからには、いい仕事をしなくてはいけない」と気負わずに、そのときの加減で「良い加減」でニコニコと取り組んでいけばいいのです。

頼まれごとを引き受けて行くと、三年くらい経ち、ある方向性でこき使われていることに気がつきます。

「どうもこういうことをするために、この世に生まれてきたみたいだ」というように、自分の“使命”がわかる瞬間があります。

それを「立命」の瞬間といいます。』(日々の暮らしを楽にする/Gakken)


そして、もう一つの謙虚さは、いくつになっても「学び続けること」。

稲盛和夫氏はそれを「人生の目的は、心を高めることにある。生まれながらに授かった魂を、少しでも美しいものへと高めていくことにこそ、生きる価値がある」と言っている。

それこそが、「学び続けること」だ。

いくつになっても、自分は、まだまだ未熟である、勉強が足りない、と思えるかどうか。

少しでも増上慢(ぞうじょうまん)になったら、そうは思えない。

増上慢とは、仏教でまだ悟ってもいないのに、すでに悟っていると思い込んでいる状態のこと。

まだ十分な力もないのに、自信たっぷりのこと、おごり高ぶること、うぬぼれること。


頼まれごとはニコニコしながら引き受け…

いくつになっても、学び続ける人でありたい。






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