人の心に灯をともす 5933 水清ければ魚棲まず

【水清ければ魚棲まず】5933



井波律子(いなみりつこ)氏の心に響く言葉より…


《水清ければ魚棲(す)まず》


後漢の班超(はんちょう)の言葉。

班超は西域にとどまること約三十年、西域都護(とご)として諸国を統轄した。


彼は辞任するさい、後任の西域都護任尚(じんしょう)が厳格すぎることを懸念し、「水清ければ大魚無し」と忠告した。

しかし、任尚は忠告を無視し西域諸国の離反を招いた。

この班超の忠告が後世、表記の言いまわしで伝わってゆく。


なお、『漢書』東方朔伝(さくでん)に「水至(いた)って清ければ魚無し」とあり、班超の言葉はこれを踏まえたもの。(『後漢書』班超伝)


『中国名言集・一日一言』岩波書店
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「アメーバ」のこんな話がある。


『カリフォルニアの研究者たちが、アメーバの一群を二つの異なるタンクに半分ずつ入れた。

第一のタンクでは、水の温度、水位、その他諸々、注意深くモニターし、成長に必要な完璧な条件になるように調えた。

一方、第二のタンクに入れられたアメーバは常に変化にさらされ、暑さ寒さの極限に置かれた。

さて、どちらのタンクのアメーバが長生きしたか?

驚いたことに、早死にしたのは、第一のタンクの、快適な環境に置かれたアメーバだった。

研究者たちは、次のように結論づけた。

あまりに居心地のよい環境にいると、よどみや腐敗が生じる。

一方、努力を強いられたり、周囲に馴染むことを余儀なくされることは、成長を促進する。』(新自分を磨く方法 ギフト版/ディスカヴァー)より



「水清ければ魚棲(うおす)まず」という言葉の通り、あまりに水がきれいなところは、プランクトンも繁殖せず、したがって魚も住むことができない。

転じて、あまりに清廉潔白な人には、人は寄り付かないということだ。


「清濁併(せいだくあわ)せ呑(の)む」とは、善も悪もへだてなく、あわせて飲み込む度量の広さを言うが、まさに人の生き方も同じ。

あまりに清廉潔白すぎる人には遊びがない。

余裕や余白がないということだ。


この世は、善もあれば悪もある。

悪あることを知ってなお、善であり続けようとするのがこの世の修行だ。


「水清ければ魚棲まず」という言葉を胸に刻みたい。




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