人の心に灯をともす 5025 鋼の自己肯定感

【鋼の自己肯定感】5025



宮崎直子氏の心に響く言葉より…


《鋼の自己肯定感作りは保育園から始まる》 (「All about me」プロジェクト)


娘がシリコンバレーにある保育園、そしてサンフランシスコの幼稚園、小学1年と、3年続けて毎年、学年が始まってすぐの9月頃に同じような宿題が出た。

その名も「All about me」 プロジェクト。

写真や絵、文字を使って、自分の家族、自分の好きなもの、習い事などを1つ のポスターにし、クラスのみんなの前でそのポスターを見せながら、自分について語るという プロジェクトだ。


保育園児、幼稚園児が、写真を印刷したりすることはできないので、当然親も一緒に取り組むプロジェクトになる。

娘はその当時好きだった絵本やおもちゃ、仲良しだった友達の写真を貼りたいと言う。

またお母さんは日本人、お父さんはアメリカ人だから、日本を表すものとアメリカを表すもの、そして家族の写真を貼りたいとも言う。

当時習っていた水泳や体操の写真も貼った。

その頃好きだった色で枠を書いたり、お花を描いたりもした。


出来上がったポス ターは、幼かった娘の身長ぐらいの幅のかなり大きなものになった。

こんな手作りのポスターを子どもたち一人一人が嬉しそうに学校に持ってきて、みんな得意げに、クラスメートの前で自分のことを話す。

そして拍手してもらう。


娘が通った幼稚園と小学校LGBTQ(性的少数者の総称の1つ)に寛容的なサンフランシスコにあったので、当然お母さんが二人の家族、両親が離婚している家族、シングルペアレントの家族、おばあちゃんに育てられている家族など、様々な形態があるのだけれど、それも隠すことなく、ポス ターにして発表する。

スティーブ・ジョブズの後継者、アップルの現CEOティム・クックは、自分がゲイであることを公表するに際し、こう述べている。

「自分はゲイであることを誇りに思っている。 ゲイでも大丈夫ということを子どもたちにも伝えたかった」


そしてスティーブ・ジョブズ自身は、自分が養子であることを公表していた。

ゲイかどうか、養子かどうか、それは自分のアイデンティティの根幹に関わること。

それを隠すことは、批判を恐れてありのままの自分を隠すこと、つまり自己否定に繋がる。


シリコンバレーでは、子どもの頃からありのままの自分を堂々と公表する場が与えられている。

それどころか奨励されている。

「All about me」の他にも、「Show and tell」というプロジェクトがある。これは先生が指定したテーマに合ったものを学校に持ってきてみんなに見せながら、それが何か、どこが素晴らしいのかなどを説明する時間。

好きなおもちゃを持ってくる、好きな本を持ってくる。

そしてみんなの前で、そのおもちゃや本のどこがすごいか、なぜ好きなのかなどを話す。

さらに、お気に入りのパジャマのまま学校に行っていい、パジャマデーなどもある。


このようにシリコンバレーでは、自分が好きなもの、嫌いなもの、自分がどう考えているか、 自分の家族の形態など、ありのままの自分をみんなの前で堂々と曝け出すことが保育園の時か ら奨励されている。

「私は、これが好き!」「私はこういう人なの」 ということをみんなの前で堂々と話す訓練をしている。

そんなプロジェクトを繰り返すことで、「みんなと同じでなくても構わない」「違っていても 大丈夫。いや、違っていて当たり前」「私らしさを全面に出して大丈夫」という安心感、つま り鋼の自己肯定感が育っていく。


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本書の中に《正しさよりもアウトプットが求められる》という心に響く一節がありました。


『娘が小学校の低学年だった時、学校で書いてきた作文を読んで驚いた。1ページぐらいのその作文は、誤字脱字だらけだったからだ。

でもそれよりもさらに驚いたのは、それを先生が奨励しているということだった。

私が日本の幼稚園児だった時、母の誕生日に書いたメッセージが、「ママ おめでとう」ではなく「アアおめでとう」になっていたので、母からひどく怒られたことをふと思い出した。

娘の学校では、スペリングは「だいたい」 でいいとのこと。音に近いスペリングであれば、 rite だろうが、right だろうが、wright だろうが、構わないのだそうだ。

それよりも大事なのは、アウトプット。

自分が思っていることをスペリング、そして文法さえも気にせずに、とにかく書けるかどうか。

それを先生は期待しているし、評価している。

確かに文字や単語を覚えたての低学年の小学生に、スペリングや文法をちょっとでも間違っ てはいけませんと指導すれば、それに気を取られて自分の意見が出にくくなるだろう。

せっか くの書きたいと思う気持ちが、スペルや文法を間違えると怒られるという気持ちに負けてしまう可能性が高い。 正しさよりもアウトプットを重視という傾向は、大学、大人になっても続いていく。

私が修 了したアメリカの大学院でも、正しさよりもアウトプットが求められた。

ほぼ全てのクラスで、「授業への参加」というのが成績の一部になっていたのだ。

この「参加」というのは、授業に出席したかどうかではない。

出席はもちろんしないといけないが、ここでいう「参加」は、授業中に発言したかどうかということだ。

そしてその発言は、たとえ的外れでも、先生の意見と真っ向から対立していても、全く構わないのだ。

授業を先生と生徒が一体になって作り上げる1つのコミュニティと捉え、自分の意見を出すことでそのコミュニティ作りに貢献したかどうかが評価される。これに気づいてからは、私も授業中、積極的に発言した。とにかく、発言したもの勝ちなのだ。

これは、大人の世界でも同じ。アメリカの政治討論会を見てみると、大統領選ですら、全く的外れの回答、意見でも堂々と述べている。

それでも問題ないのだ。

それよりも、慎重に考えすぎて発言しなかった人のほうが低く評価される。

この人は、自分の意見がないのかと思われてしまうからだ。

つまり、正しいかどうかは別として、自分の考えがあるかないか、それを人に自信を持って伝えられるかどうかが重視される。

このようにアメリカでは、 細かいことに囚われることなく、先生など権力がある人がどう考えているかさえ気にせずに、自分の意見を堂々と発表できる場を、子どもから大人に至るまで 提供されている。

こうして、自己肯定感を育てるために一番大事なこと、つまり「自分はどう考えているのか」を言葉にし、堂々とアウトプットし続けることで「私は私のままで大丈夫」という自らを 肯定する訓練がなされていく。』



2017年のデータですが(国立青少年教育振興機構)、高校生に対して「自分は価値のある人間だと思う」という問いに、84%のアメリカの高校生がイエスと答えたのに対し、イエスと答えた日本の高校生は45%にとどまったといいます。

「価値あるところもあるけど、価値ないところもあるしなぁ」とか「100%価値ある人間とは言い切れない」などという、日本人特有の謙虚で控えめな考え方を加味したとしても、かなり低い数字であることは確かです。

これらは、多分に幼少期の教育に原因があるのかもしれません。

「みんなそろって」とか「全員一緒に」「失敗や間違いを恐れる」等々、目立つのを嫌い、個性的な出る杭は叩かれ、挑戦よりも失敗しないことが大事、というような価値観による教育です。


どんなときも、自己肯定感を高く保つ人でありたいと思います。






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