人の心に灯をともす 6041 引き際の美しさ
【引き際の美しさ】6041
【引き際の美しさ】
渡部昇一氏の心に響く言葉より…
物事には、引き際というものがある。
せっかくいい結果を残してきていても、引き際が見苦しいと、その印象だけが残って、後々の幸運を逃すことになる。
そればかりか、それまで残してきた成果も疑われかねない。
とはいえ、身を引くという行為は勇気のいることだろう。
いつ引くのかというタイミングをはかるのも難しい。
そうしているうちに、何やかやと理由をつけてその場に居座ろうとしてしまうのだ。
だが、周囲の人はそんなところまで慮(おもんぱか)ってくれない。
いつまでも意地汚く頑張っているように取られ、非常に見苦しく思われる。
とくに日本は、引き際の美しさに深く感銘を受けるお国柄であるように思う。
引き際の美しさとは、単にその場を去ることではなく、自らの敗北や限界を潔く受け入れる姿勢にも通じている。
負けたりダメだとわかったなら、潔くそれを認める。
敗者なら敗者らしく堂々としていればいい。
十分に戦ったのなら、自分を卑下することはない。
これが、英語で言うところのグッド・ルーザー (good loser)、つまり、負けても 怒ったりしょげたりせず、潔く引く人になれという思想である。
昔から「勝敗は時の運」というように、勝つときもあれば負けるときもある。
だから、負けたからといって、相手を憎むのはナンセンスである。
負けたのなら潔く負けを認めて降参すればいいだけのことなのだ。
《敗者になったときこそ重要な「グッド・ルーザー」の思想》
『人生の手引き書』扶桑社新書
https://q.bmd.jp/91/119/7109/__no__
伊藤肇氏は「引き際の美しさ」についてこう語る。
『「東洋人物学では『出処進退(しゅっしょしんたい)』と『応対辞令』とが、人物を見る二つの柱となっている」と安岡先生から教わった。
「出処進退」では、特に「退」が重視される。
「退」には、ごまかしのない人間がそのままでるからである。
女々しい奴は、いつまでもポストに恋々(れんれん)とするし、智慧(ちえ)があって、男らしい奴は最盛期にさらりと退く。
難しいのは「仕事に対する執着を断ちきる」作業である。
己を無にすることである。
そして、出処進退の大原則である「進むときは人まかせ、退くときは自ら決せよ」(越後長岡藩家老、河井継之助)を実践するのである。
「退」を人に相談したら、それは茶番劇となる。
誰が、相談を受けて「いい時期だから、おやめなさい」という奴がいるものか。
「まだまだ、おやめになるのは早いですよ」と、止めるに決まっている。
それをいいことに居座ったら、老醜をさらすことになる。
いうなれば「退」は徹頭徹尾、自らを見つめ、自らを掘りさげて行動しなければならぬから、自然に日ごろの心栄えが一挙手一投足に反映する。』(帝王学ノート /PHP文庫)より
「去り際」「引き際」にこそ、人としての「品格」や「品性」「潔さ」「勇気」「覚悟」があらわれる。
こだわりや執着を捨てること。
「引き際の美しさ」という言葉を胸に刻みたい。
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【引き際の美しさ】
渡部昇一氏の心に響く言葉より…
物事には、引き際というものがある。
せっかくいい結果を残してきていても、引き際が見苦しいと、その印象だけが残って、後々の幸運を逃すことになる。
そればかりか、それまで残してきた成果も疑われかねない。
とはいえ、身を引くという行為は勇気のいることだろう。
いつ引くのかというタイミングをはかるのも難しい。
そうしているうちに、何やかやと理由をつけてその場に居座ろうとしてしまうのだ。
だが、周囲の人はそんなところまで慮(おもんぱか)ってくれない。
いつまでも意地汚く頑張っているように取られ、非常に見苦しく思われる。
とくに日本は、引き際の美しさに深く感銘を受けるお国柄であるように思う。
引き際の美しさとは、単にその場を去ることではなく、自らの敗北や限界を潔く受け入れる姿勢にも通じている。
負けたりダメだとわかったなら、潔くそれを認める。
敗者なら敗者らしく堂々としていればいい。
十分に戦ったのなら、自分を卑下することはない。
これが、英語で言うところのグッド・ルーザー (good loser)、つまり、負けても 怒ったりしょげたりせず、潔く引く人になれという思想である。
昔から「勝敗は時の運」というように、勝つときもあれば負けるときもある。
だから、負けたからといって、相手を憎むのはナンセンスである。
負けたのなら潔く負けを認めて降参すればいいだけのことなのだ。
《敗者になったときこそ重要な「グッド・ルーザー」の思想》
『人生の手引き書』扶桑社新書
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伊藤肇氏は「引き際の美しさ」についてこう語る。
『「東洋人物学では『出処進退(しゅっしょしんたい)』と『応対辞令』とが、人物を見る二つの柱となっている」と安岡先生から教わった。
「出処進退」では、特に「退」が重視される。
「退」には、ごまかしのない人間がそのままでるからである。
女々しい奴は、いつまでもポストに恋々(れんれん)とするし、智慧(ちえ)があって、男らしい奴は最盛期にさらりと退く。
難しいのは「仕事に対する執着を断ちきる」作業である。
己を無にすることである。
そして、出処進退の大原則である「進むときは人まかせ、退くときは自ら決せよ」(越後長岡藩家老、河井継之助)を実践するのである。
「退」を人に相談したら、それは茶番劇となる。
誰が、相談を受けて「いい時期だから、おやめなさい」という奴がいるものか。
「まだまだ、おやめになるのは早いですよ」と、止めるに決まっている。
それをいいことに居座ったら、老醜をさらすことになる。
いうなれば「退」は徹頭徹尾、自らを見つめ、自らを掘りさげて行動しなければならぬから、自然に日ごろの心栄えが一挙手一投足に反映する。』(帝王学ノート /PHP文庫)より
「去り際」「引き際」にこそ、人としての「品格」や「品性」「潔さ」「勇気」「覚悟」があらわれる。
こだわりや執着を捨てること。
「引き際の美しさ」という言葉を胸に刻みたい。
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