人の心に灯をともす 5941 もし、百年たったら

【もし、百年たったら】5941



リチャード・カールソン氏の心に響く言葉より…


友達のパティが、愛読している作家から学んだという知恵を教えてくれた。

それは私の人生観に大きな広がりを与えた。

時の流れのなかで百年というのはそれほど長い時間ではない。


しかし、確実なことが一つある。

いまから百年後、私たちはこの地球にはいないということだ。

それを念頭においておけば、人生の危機やストレスにみまわれたときも客観的な視野にたてる。


タイヤがパンクした、鍵をなくして家から締め出されたとしても、百年たったらどんな意味があるのか?

だれかに意地悪をされる、夜勤を続けるはめになる、家が汚くてまるでブタ小屋だ、コンピュータが壊れた、休暇旅行にいくお金、新車を買うお金、もっと大きいアパートメントに引っ越すお金がない・・・そんなことが百年後にどんな意味がある?

いまから百年後を視野に入れると、こういったことにたいする見方が変ってくる。


今朝も私は仕事のことでちょっとした緊張状態におちいった。

手ちがいでダブルブッキングをしてしまい、二人のクライエントが同時に現れたのだ。

過度のストレスと緊張におちいらずにすんだのは、百年後にはこの瞬間を覚えている人、気にする人はだれもいなくなるだろうという考え方のおかげだ。

私は冷静に自分の間違いの責任をとり、彼らの一人が快く予約を変更してくれた。

これもまた「大ごと」に発展したかもしれない「小さなこと」の例といえる。


『小さいことにくよくよするな!』サンマーク出版
https://q.bmd.jp/91/119/5363/__no__





高橋歩氏のこんな言葉がある。


『人生は有限であるということ。

遅かれ早かれ、自分も死に、大切な人も亡くなるということ。

それは、誰もが受け入れなければならないリアル。

死を身近に感じることで、生への緊張感が生まれる。

メメント・モリ ~死を想え~

限られた時間の中で、最高の人生を送るために。』 (人生の地図/A-Works)より



どんな失敗であろうと、人に非難されたことも、責められたことも、百年たったら誰も覚えている人はいない。

すべては些細(ささい)なこと。

悠久の人類の歴史からみたら、一刹那(いちせつな)の時間。


「この今という時間は、刻々、すぐに過去となり、時が経てば、やがてすべては忘れ去られる」

どんな悩みも、歴史の中ではさざ波のようなもの。


もし、百年たったら・・・

すべての心配事や、苦悩は、「小さいこと」となる。





●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
★新・日めくりカレンダー「ヒロさんのつぶやき」できました!
https://q.bmd.jp/91/119/5364/__no__
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

■メルマガの登録と解除はこちらから
https://q.bmd.jp/91/119/5365/__no__

■「人の心に灯をともす」のfacebookページです♪
https://q.bmd.jp/91/119/5366/__no__

■【人の心に灯をともす】のブログはこちら
https://q.bmd.jp/91/119/5367/__no__

■X(旧Twitter)はこちらから
https://q.bmd.jp/91/119/5368/__no__