人の心に灯をともす 5876 「また今度」という言葉

【「また今度」という言葉】5876



豊留菜瑞(とよどめなつみ)氏の心に響く言葉より…



「ごめん、今日は忙しくて・・・・・・また今度ね」

何気なく口にする「また今度」。

私たちはこの言葉を、まるで無限の時間があるかのように使っています。


しかし、その「また今度」は本当に来るのでしょうか?

ある数学者が「人生の残り時間」を計算したところ、衝撃的な結果が算出されました。


幼い子どもが「公園に行こう!」と手を引っ張る瞬間。

小学生になれば、もう手をつなごうとはしなくなります。

その時が訪れるまで、あと5年だとしたら。


週に1回だとしても、残り260回。

たった260回しか、その小さな手を握る機会は残されていないのです。


両親から「今度、家に来ない?」と電話がかかってくる瞬間。

両親の年齢が50歳だと仮定し、その両親が80歳まで生きたとして、仮に年に2回会っても、残り30年×2回=60回。

たった60回しか、両親と会う機会が残されていないのです。


親友から「久しぶりに会わない?」とメッセージが届く瞬間。

30歳の人が、80歳まで生きられたとして、3ヶ月に1回会っても、残り50年×4回=200回。

たった200回しかない貴重な機会を、本当に「また今度」で済ませていいのでしょうか?


これらの「今」は、二度と同じ形では訪れません。

そして、この計算は最も楽観的な場合です。

私たちには、この回数すら保証されていないのです。


「また今度」という言葉の裏に隠された現実。

それは、私たちの「時間」が思っているより、ずっと少ないということ。


先日、私はある40代の女性から胸が詰まる話を聞きました。


「母が突然、亡くなってしまいました。

『また今度会いに行こう』って思っていた矢先のことでした。

それまで、仕事が忙しくて。 『会いに行きたいけど、今は忙しいから』って、何度も何度も後回しにしていたんです。

『また今度』 って、言ってたことを後悔しています・・・」



彼女の声は震えていました。

私たちは「忙しい」という言葉で、どれだけ多くのものを諦めているでしょうか。



『忙しさ幻想』サンマーク出版
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2001年のアメリカの同時テロの時に、有名になった詩がある。

「最後だとわかっていたなら」(ノーマ コーネット マレック)


あなたがドアを出て行くのを見るのが

最後だとわかっていたら

わたしは 

あなたを抱きしめて 

キスをして

そしてまたもう一度呼び寄せて 

抱きしめただろう


あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが

最後だとわかっていたら

わたしは 

その一部始終をビデオにとって

毎日繰り返し見ただろう


あなたは言わなくても 

分かってくれていたかもしれないけれど

最後だとわかっていたなら

一言だけでもいい・・・

「あなたを愛してる」と わたしは伝えただろう



今日は最後の日ではない、と誰もが信じている。

明日もあると思うから、忙しいから、「また今度」と言ってしまう。


例えば、レストランにおいて、「これが最後の食事」というお客様が来たとしたらどうだろう。

人生最後の食事にこの店を選んでくれた、そんな方になら、 きっと涙を浮かべて必死にサービスするに違いない。


「一期一会」とは茶道の言葉。

あなたと出会っているこの時間は、二度とない、生涯に一度きりの機会。

だからこそ、 茶会では、心からのおもてなしをする、という意味だ。


「また今度」と言う言葉・・・

「一期一会」の気持ちで一日一日をすごしたい。





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