人の心に灯をともす 5431 法然上人のあたたかな言葉

【法然上人のあたたかな言葉】5431



ひろさちや氏の心に響く言葉より…


『徒然草』に、法然上人(ほうねんしょうにん)のエピソードが出てくる。

法然上人は、わが国、浄土宗の開祖である。


ある人が法然上人に尋ねた。

「念仏をしているとき、どうも眠くなって困ります。どうしたらよいのでしょうか?」

すると、法然上人はこう答えられた。

「それなら、目が醒めたときに念仏をされるとよい」


これはすばらしい答えだ。

温かみのあることばである。

『徒然草』の作者も、この法然上人のことばを評して、「いと尊かりけり」と 言っている。

わたしもそれに同感である。


法然上人には、ごく普通の人々からの質問に答えた、『一百(いっぴゃく)四十五(しじゅうご)箇条問答(かじょうもんどう)』といった問答集がある。

その中には、「酒を飲むのは罪でしょうか?」 といった質問に対して、「ほんとうは飲まないほうがよいのですが、世の中の習いです《ま事(こと)にはのむへくもなけれとも、この世のならひ》」 といった答えがある。

これもすばらしいことばだ。


修行中、睡魔におそわれたら、股(もも)に錐(きり)を突き立てて睡魔と闘い、猛烈な修行をつづける人もいる。

その態度は立派だ。

また、仏教では飲酒が戒律で禁じられているから、絶対に飲まない人もいる。

その人もまた立派な修行者である。


しかし、わたしには、そのような道は歩けない。

とうてい、わたしには無理だ。

そんなわたしには、法然上人のことばが安らぎになる。

ちょっと居眠りをして、目が醒めたらまたお念仏を唱える。

そういうやり方で、わたしは仏道を歩もうと思っている。


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オリンピックの選手たちのように、血のにじむような努力を重ね、ケガや不運を乗り越えてメダルをとりにいく、という人生があってもいい。

だが、大多数の一般人は、そうはいかない。


しかし、その中にあっても、居眠りをして、目がさめたらまたお念仏を唱えるという愚者のごとき生き方をする人もいる。

何度眠ってしまっても、また、起きて、また、始める。

そんなカタツムリのような歩みであっても、それを何十年と続けると、あるとき階段を何段かあがっていることに気づく。


反対に、眠るまいと股(もも)に錐(きり)を突き立てるような超人的な努力をする人は、あるとき、ぽっきり折れてしまうこともある。

ゼロかイチか、の思考だからだ。


人の考え方には、ゼロかイチかという極端な考え方とは別に、その中間の考え方もある。

それが、仏教でいう「中道」の教えであり、「いい加減」という生き方。

雨が降ったら雨の中をゆっくり行けばいいし、もっというなら、そこで休んでもいい。


何が何でも前に進む必要はないのだ。

それが、「いい加減」な「良い加減」の生き方。


「法然上人のあたたかな言葉」を胸に刻みたい。







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