人の心に灯をともす 5447 マザー・テレサの笑顔
【マザー・テレサの笑顔】5447
渡辺和子氏の心に響く言葉より…
一九一〇年生まれのマザーは、一九二七年生まれの私より十七歳年上でした。
私が感心したのは、「マザー、こちらを見てください」という声が、報道のカメラマンなどからかかると、必ず笑顔になることです。
いつも笑顔でいらっしゃるというよりも、「マザー、お願いします」と言われると、声がした方向を笑顔でご覧になるのです。
その日、マザーは東京から新幹線で広島入りし、長い時間お話をなさって、そこからまた岡山に移動されたのです。
さぞお疲れのはずなのに、声がかかる たびに、必ずニコッと笑顔を向けていらっしゃいました。
お話を聞かせていただいた学生たちが、「マザー、どうぞお使いください」 と、何かを志としてお渡しした時も、笑顔で受け取ってくださいました。
三回目の来日で、初めての時よりは日本に慣れてくださったのかもしれませんが、ずっと学生たちが取り囲んでいましたから、かなり疲れていらっしゃるはずでした。
いつも人に囲まれて、私だったら「もうよして」と言ってしまいそうな状況でしたが、ちっともそういう素振りをお見せにならない。
何と愛想のいい方だろうと思っていたのです。
ところが、夜になって、ようやく一区切りがついたので、夕食を召し上がっていただこうと、修道院へとご案内をした時のことでした。
「この通路を行けばすぐでございますから」と、足元を懐中電灯で照らしながらマザーと二人で移動しました。
十一月二十三日、勤労感謝の日のことです。
暗くて寒い中を、並んで歩いておりましたら、途中で「シスター、私はね」 とマザーが話してくださったのです。
「私はね、どんな時にも笑顔になります。なぜなら、私の笑顔の一つ一つで、今、神様の元に召される魂が、神様の御手に抱かれるように、神様とお約束をしてあるのです。どんな時でも嫌な顔をしない。面倒くさそうな顔をしない。その代わりに、神様、お約束ですよ。笑顔をするたびに、一人ちゃんと天国へ 入れてやってください、と」 神様との契約、約束です。
ただ周りに合わせた笑顔ではなく、「私はどんなにつらくても、疲れていても、今、写真を撮りたいという人のために笑顔をしますから、どうぞ神様、召される魂を御手に抱き取ってください」という、お考えだったのです。
「ああ、私はなんて情けないのだ」と自分を恥じました。私はそんなことは考えてもいなかったのです。「マザーの笑顔は愛想の良さ」もしくは「写真がお好きなのかもしれない」と思っていたのでした。私は深く反省し、その経験から、多くを学ぶことができました。
『どんな時でも人は笑顔になれる』PHP文庫
https://amzn.to/3x24WgU
渡辺和子氏のこんなエピソードがある。
『渡辺和子さんがアメリカの修道会にいたときのことです。
食事の準備のために、食卓にお皿を配っていた渡辺和子さんに、あるシスターが寄ってきて訊ねたそうです。
「あなたは今、何を考えながらお皿を配っていますか?」
渡辺和子さんは戸惑いつつ、「いえ、何も考えていません」と答えました。
そのときシスターは、「あなたは時間を無駄にしています。なぜ、このお皿を使う人の幸せを祈りながら配らないのですか。この世に雑用という仕事はないのですよ」
そう教えてくれたというのです。』(22世紀への伝言/廣済堂出版)より
この世に雑用という仕事はない。
笑顔も同じ。
一つひとつの「笑顔」に祈りを込める。
『マザー・テレサの「笑顔」』という言葉を胸に刻みたい。
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渡辺和子氏の心に響く言葉より…
一九一〇年生まれのマザーは、一九二七年生まれの私より十七歳年上でした。
私が感心したのは、「マザー、こちらを見てください」という声が、報道のカメラマンなどからかかると、必ず笑顔になることです。
いつも笑顔でいらっしゃるというよりも、「マザー、お願いします」と言われると、声がした方向を笑顔でご覧になるのです。
その日、マザーは東京から新幹線で広島入りし、長い時間お話をなさって、そこからまた岡山に移動されたのです。
さぞお疲れのはずなのに、声がかかる たびに、必ずニコッと笑顔を向けていらっしゃいました。
お話を聞かせていただいた学生たちが、「マザー、どうぞお使いください」 と、何かを志としてお渡しした時も、笑顔で受け取ってくださいました。
三回目の来日で、初めての時よりは日本に慣れてくださったのかもしれませんが、ずっと学生たちが取り囲んでいましたから、かなり疲れていらっしゃるはずでした。
いつも人に囲まれて、私だったら「もうよして」と言ってしまいそうな状況でしたが、ちっともそういう素振りをお見せにならない。
何と愛想のいい方だろうと思っていたのです。
ところが、夜になって、ようやく一区切りがついたので、夕食を召し上がっていただこうと、修道院へとご案内をした時のことでした。
「この通路を行けばすぐでございますから」と、足元を懐中電灯で照らしながらマザーと二人で移動しました。
十一月二十三日、勤労感謝の日のことです。
暗くて寒い中を、並んで歩いておりましたら、途中で「シスター、私はね」 とマザーが話してくださったのです。
「私はね、どんな時にも笑顔になります。なぜなら、私の笑顔の一つ一つで、今、神様の元に召される魂が、神様の御手に抱かれるように、神様とお約束をしてあるのです。どんな時でも嫌な顔をしない。面倒くさそうな顔をしない。その代わりに、神様、お約束ですよ。笑顔をするたびに、一人ちゃんと天国へ 入れてやってください、と」 神様との契約、約束です。
ただ周りに合わせた笑顔ではなく、「私はどんなにつらくても、疲れていても、今、写真を撮りたいという人のために笑顔をしますから、どうぞ神様、召される魂を御手に抱き取ってください」という、お考えだったのです。
「ああ、私はなんて情けないのだ」と自分を恥じました。私はそんなことは考えてもいなかったのです。「マザーの笑顔は愛想の良さ」もしくは「写真がお好きなのかもしれない」と思っていたのでした。私は深く反省し、その経験から、多くを学ぶことができました。
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渡辺和子氏のこんなエピソードがある。
『渡辺和子さんがアメリカの修道会にいたときのことです。
食事の準備のために、食卓にお皿を配っていた渡辺和子さんに、あるシスターが寄ってきて訊ねたそうです。
「あなたは今、何を考えながらお皿を配っていますか?」
渡辺和子さんは戸惑いつつ、「いえ、何も考えていません」と答えました。
そのときシスターは、「あなたは時間を無駄にしています。なぜ、このお皿を使う人の幸せを祈りながら配らないのですか。この世に雑用という仕事はないのですよ」
そう教えてくれたというのです。』(22世紀への伝言/廣済堂出版)より
この世に雑用という仕事はない。
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