人の心に灯をともす 6047 四十からは与える人生

【四十からは与える人生】6047



北川八郎氏の心に響く言葉より…


私は公民館主催の○○講座とかに呼ばれ、時にお年寄りに仏陀の話をすることもあります。

この世を去る時に持って行けるものは、「人に与えた悲しみと喜びだけ」。


名誉とか富とか権力とか何も持って行けないのだと話します。

人々が皆、自分のためだけに生きて、この世の中が良くなっていくでしょうか。

六十や七十歳になったら、そういう濃い欲を捨てて、後に続く若い人たちが正しく生きていける、正しい物の見方ができるように導いていくのが、我々年を取っていく人間の道なのでしょう。


七十歳になったら澄んでしまうのがいいのです。

それをまだ生臭い世界で生きていけと言う。

世の中どんどん変わってしまいました。


今、私たち日本人はみんなが上から下まで《徳のレンガ》を積もうとしないで、自分の得や、自分の利のためだけに生きようとしています。

己の利・欲を捨て去るというのは、実はとてもレベルの高い状態であるわけです。

少し譲り合うだけでもいいのです。

その心を自分の身に付けましょう。


そして六十歳、 七十歳になったら、小悟の世界に入って、後に続く若い人を正しい世界へ導くこと、それが老人の役割でもあるのです。

小欲の利、大切さを若い人に教えてあげたいのです。

三十代までは人からもらう世界。

知恵をもらったり、教えてもらったり、力をもらったり、『もらう世界』ですよ。


でも四十代になったら、今度は『返す世界』です。

四十代に入ったら少しずつ若い人たちに返していかないといけません。

自分がいただいた恩や、得た情や、それから学んだ知識や、そしてやさしさやあらゆるものを今度は返すしかないのです。


四十代に入ってもまだもらっている人は人生がそこから伸びない。

いつも私利と欲の世界から逃れきれない、人に『返す』ことができない。

五十六十代は今まで受けたこの世のしがらみ、人生の荷物を少しずつ返してこの世から去っていく準備をする年代なのです。

いつまでも権力を持ち続け、しがみついていては、世の中に歪みが生じてしまうのです。


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人は、亡くなって、あの世に持っていけるものが2つあるという。

一つは、人に与えた喜び。

もう一つは、人に与えた悲しみ。


どんなに大きな家も、高級な車も、毎日愛用している物も、社会的な肩書きや、地位や名誉も、あの世には持っていけない。

しかし、人に与えた喜びや悲しみは、人々の心に残る。

そして、その人を思い出してくれる人が、この世に一人でもいる限り、その人は生き続けているともいえる。


仏教では、あの世に行くときは、「浄玻璃(じょうはり)の鏡」の前に立つという。

相田みつをさんのこんな詩がある。


「浄玻璃の 鏡の前に立つまでは 秘めておきたし あのこともこのことも」

浄玻璃の鏡の前に立つと、生まれてから死ぬまでの間に、人に与えた喜びと、人に与えた悲しみが、走馬灯のように一瞬にしてその鏡の中で再現されるという。

人に与えた悲しみが多ければ、身もだえするような苦しさとなり、深い悔悟の念にかられ、針のむしろとなる。

その状態を地獄という。


また、人に与えた喜びが多ければ、無上の喜びがこんこんと湧いてきて、笑顔がこぼれ、うれしくて、楽しくて仕方なくなる。

それを天国という。


生きているうちに、一人でも多くの人に、喜びを与えることができる人でありたい。




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