人の心に灯をともす 5569 「夢」や「目標」の対極は?
【「夢」や「目標」の対極は?】5569
小林正観さんの心に響く言葉より…
思いを持つということの百八十度の対極には何が存在するか。
それは「ありがとう」という言葉です。
いいですか?
私たちは、あれが欲しい、これが欲しい、こうならなければ、ああならなければ、達成目標、努力目標などと言っている間は、実は感謝の心と一番遠いところにいるのかもしれないのです。
今、自分がどれほど恵まれているかを気づかないのです。
そう言うと、七十歳ぐらいの人がこう言いました。
「正観さん、そうは言うけれども、自分は三年前から腰が痛い。この腰が痛い間は、ありがとうなんて言えない。腰痛がなくなったら、ありがとうと言えるけど」って。
そこで私は編み物はしないけど、ニット笑った。
「そうですよねえ、そうですよね。その腰痛が治ったら神様に感謝できますって、あなたは言っているんですよね。
でもたぶん、腰痛が治った段階で、あなたは神様にありがとうと言わずに、次のことを要求しますよね。
今度は『孫が第一志望の大学に入ってくれたら、神様に感謝できるんですけど』って、そう言いますよね」
そうしたら、その七十歳の方はこう言いました。
「どうして私が考えていることがわかるんですか?」
ぴったりだったらしいです。
その人の第一希望は腰痛がとれることだったのだけれど、第二希望は孫が第一志望の大学に受かることなのだそうです。
それを一所懸命念じていたらしい。
だから、どうしてわかるんだって驚いていました。
結局こういう人は、何かが叶ったとしても、必ず次から次へと要求を繰り返すのです。
自分の夢や希望や、手に入れたいものを挙げ連ねて、次から次へと要求するのです。
でも、夢や希望が叶ったから「ありがとう」と言うのは、どうも ありがとうの本質とは違うみたいです。
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「思いを持つ」の対極にあるものは「思いを持たない」ではなく、「ありがとう」。
「思いを持つ」とか「夢を持つ」、「目標を持つ」ということは、現代社会において、学校でも、社会に出てからでも、ずっと言われ続けてきた我々の価値観とも直結する大事な教え。
しかし、「夢」や「目標」を持った時は、多くは「感謝」の気持ちを忘れてしまう。
なぜなら、「感謝」は今あるモノやコトに感謝するのに対して、「夢」や「目標」は今ないモノやコトに対して、それを欲しい、手に入れたいと思うからだ。
あれが欲しい、これを手に入れたい、と言っているということは、ある面で、「これが足りない」「あれが不足だ」と、不平・不満や文句を言っているようなもの。
「夢」や「目標」を持ちながら、同時に「感謝」の気持ちを持って生きるなら、それは素晴らしいこと。
しかし、それはたとえば、何万に一人のオリンピック級のスポーツ選手の中でも、ほんのひと握りの選ばれた人だけができる技。
多くは、「夢」や「目標」を達成する過程で、「感謝」の念とは対極にある、「傲慢」「偉そう」「横柄」「居丈高」「高慢」になってしまう。
これは、スポーツ選手だけでなく、経営者や、学者、芸術家、政治家等々でも同じ。
不思議なことに、「感謝」の念を強く持てば持つほど、「夢」や「目標」は、「叶ったらうれしいけど、叶わなくてもいい」という謙虚で控えめな気持ちになってくる。
それは、感謝と同時に「おかげさま」という気持ちも芽生えてくるからだ。
まわりの皆さんのおかげ。
住んでいる町や国のおかげ。
所属している会社のおかげ。
家族や友達のおかげ。
寝ている間も動いてくれる心臓や、自分の身体のおかげ。
そして、神さまやご先祖さまのおかげ。
「夢」「目標」の対極にある…
「感謝」の気持ちを忘れない人でありたい。
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小林正観さんの心に響く言葉より…
思いを持つということの百八十度の対極には何が存在するか。
それは「ありがとう」という言葉です。
いいですか?
私たちは、あれが欲しい、これが欲しい、こうならなければ、ああならなければ、達成目標、努力目標などと言っている間は、実は感謝の心と一番遠いところにいるのかもしれないのです。
今、自分がどれほど恵まれているかを気づかないのです。
そう言うと、七十歳ぐらいの人がこう言いました。
「正観さん、そうは言うけれども、自分は三年前から腰が痛い。この腰が痛い間は、ありがとうなんて言えない。腰痛がなくなったら、ありがとうと言えるけど」って。
そこで私は編み物はしないけど、ニット笑った。
「そうですよねえ、そうですよね。その腰痛が治ったら神様に感謝できますって、あなたは言っているんですよね。
でもたぶん、腰痛が治った段階で、あなたは神様にありがとうと言わずに、次のことを要求しますよね。
今度は『孫が第一志望の大学に入ってくれたら、神様に感謝できるんですけど』って、そう言いますよね」
そうしたら、その七十歳の方はこう言いました。
「どうして私が考えていることがわかるんですか?」
ぴったりだったらしいです。
その人の第一希望は腰痛がとれることだったのだけれど、第二希望は孫が第一志望の大学に受かることなのだそうです。
それを一所懸命念じていたらしい。
だから、どうしてわかるんだって驚いていました。
結局こういう人は、何かが叶ったとしても、必ず次から次へと要求を繰り返すのです。
自分の夢や希望や、手に入れたいものを挙げ連ねて、次から次へと要求するのです。
でも、夢や希望が叶ったから「ありがとう」と言うのは、どうも ありがとうの本質とは違うみたいです。
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「思いを持つ」の対極にあるものは「思いを持たない」ではなく、「ありがとう」。
「思いを持つ」とか「夢を持つ」、「目標を持つ」ということは、現代社会において、学校でも、社会に出てからでも、ずっと言われ続けてきた我々の価値観とも直結する大事な教え。
しかし、「夢」や「目標」を持った時は、多くは「感謝」の気持ちを忘れてしまう。
なぜなら、「感謝」は今あるモノやコトに感謝するのに対して、「夢」や「目標」は今ないモノやコトに対して、それを欲しい、手に入れたいと思うからだ。
あれが欲しい、これを手に入れたい、と言っているということは、ある面で、「これが足りない」「あれが不足だ」と、不平・不満や文句を言っているようなもの。
「夢」や「目標」を持ちながら、同時に「感謝」の気持ちを持って生きるなら、それは素晴らしいこと。
しかし、それはたとえば、何万に一人のオリンピック級のスポーツ選手の中でも、ほんのひと握りの選ばれた人だけができる技。
多くは、「夢」や「目標」を達成する過程で、「感謝」の念とは対極にある、「傲慢」「偉そう」「横柄」「居丈高」「高慢」になってしまう。
これは、スポーツ選手だけでなく、経営者や、学者、芸術家、政治家等々でも同じ。
不思議なことに、「感謝」の念を強く持てば持つほど、「夢」や「目標」は、「叶ったらうれしいけど、叶わなくてもいい」という謙虚で控えめな気持ちになってくる。
それは、感謝と同時に「おかげさま」という気持ちも芽生えてくるからだ。
まわりの皆さんのおかげ。
住んでいる町や国のおかげ。
所属している会社のおかげ。
家族や友達のおかげ。
寝ている間も動いてくれる心臓や、自分の身体のおかげ。
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