人の心に灯をともす 5577 人生を「遊ぶ」とは
【人生を「遊ぶ」とは】5577
ひろさちや氏の心に響く言葉より…
“遊び”は英語では“プレイ (play)" ですが、このプレイは"ワーク (work)" に対比される言葉です。
そして、"ワーク"は、ある目的を達成するために努力して行なう仕事や労働を言います。
「仕事・労働」といえば、英語にはもう一つ、“レイバー (labor)"があります。
"レイバー”のほうは肉体的労働が中心になっていて、苦痛ばかりが多く、精神的な喜びのない労働です。
それに対して"ワーク"のほうは、肉体的・精神的労働の両方に使い、たしかに苦痛を伴いますが、精神的な喜びもある労働をいいます。
まあ、ともかく、何か目的を持って努力をすると“ワーク"か"レイバー"になってしまいます。
われわれの「遊び」の哲学は“プレイ"であって、これは目的を持ってはいけないのです。
いや、目的というものは、シナリオ全体を見ないとわかりません。
何億年にもわたる仏のシナリオの全体を、われわれ人間が読めるわけがなく、わたしたちはただただ与えられた配役をプレイすればいいのです。
「遊び」の気持でもって人生を送ればいい。
それが 「遊び」の哲学です。
いいですか、与えられた配役をしかめっ面をしてやってのけるのは、あんがい大根役者です。
大根役者というのは、まじめすぎる役者です。
まじめすぎると、演技がこちこちに なってしまいます。
小学生の学芸会は、みんなまじめに演じています。
もう少し肩の力を 抜いて、楽しくプレイをしてください。といっても、それはなかなかむずかしいですね。
楽しくのびのびと演技ができるのは、よほどの名優ですね。
わたしたちはどうしても、まじめに力をこめて演技をしてしまいます。
しかしですね、わたしたちは仏のシナリオを演じているのです。
そして演出家の仏は、それぞれの役者がのびのびとプレイすることを求めておられます。
その演出家の要望にわれわれは応えなければなりません。
だから、力んではいけないのです。
力まずに、ゆったりと、のんびりと、「遊び」の哲学でもって仏からいただいた配役をプレイする。
それがわれわれの生き方です。
どうか大根役者にならないでください。
現代日本人はまじめに働いて大根役者になっています。
目的や目標に向かって驀進(ばくしん)するのがいい演技だと思っています。
でも、そのような演技は大根です。
仏のシナリオは、わたしたちが人生を「遊ぶ」ように書かれているのです。
わたしはそう思います。
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藤原東演住職は「遊び」についてこう語っている。
『「遊戯三昧(ゆげざんまい)」という禅語は、「無門関」の第一則に出てくる。
我を忘れて、無心に遊んでみないか。
仕事も、趣味も、生活でなすことも、さらには人生の運不運もすべて遊び心で生きることがすばらしい。
仕事は成果をあげなくてはならない。
「何かのため」という意味づけが不可欠だ。
ところが、遊びは何かのためにという目的がない。
その成功とか失敗なんか関係がない。
成果など計算したら、それは遊びではない。
人の評価も気にする必要がない。
ただやることが面白い、楽しいからやるのである。』(禅、「あたま」の整理/知的生きかた文庫)より
「人生はひとつのゲーム、人生を楽しみなさい。」( マザー・テレサ )
それを、今東光和尚は、「人生とは、冥土(めいど)までの暇(ひま)つぶし』といった。
遊びも、ゲームも、暇つぶしにも、目的はない。
目的地を定めない「旅」が本当は一番楽しい。
なぜなら、旅の楽しみは、どこへ行くかよりも、誰と一緒にいくかの方が大事だからだ。
楽しい仲間と一緒なら、どこへ行っても楽しい。
斎藤一人さんは、それをこういう。
『旅とは、目的地へ行くことではないんだよ。
だから、目的地をかえたって別にいいだよ。
道中を楽しむことが「旅」なんだから。』
人生という旅もまた同じ。
道中を楽しむことが、人生を「遊ぶ」ということ。
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ひろさちや氏の心に響く言葉より…
“遊び”は英語では“プレイ (play)" ですが、このプレイは"ワーク (work)" に対比される言葉です。
そして、"ワーク"は、ある目的を達成するために努力して行なう仕事や労働を言います。
「仕事・労働」といえば、英語にはもう一つ、“レイバー (labor)"があります。
"レイバー”のほうは肉体的労働が中心になっていて、苦痛ばかりが多く、精神的な喜びのない労働です。
それに対して"ワーク"のほうは、肉体的・精神的労働の両方に使い、たしかに苦痛を伴いますが、精神的な喜びもある労働をいいます。
まあ、ともかく、何か目的を持って努力をすると“ワーク"か"レイバー"になってしまいます。
われわれの「遊び」の哲学は“プレイ"であって、これは目的を持ってはいけないのです。
いや、目的というものは、シナリオ全体を見ないとわかりません。
何億年にもわたる仏のシナリオの全体を、われわれ人間が読めるわけがなく、わたしたちはただただ与えられた配役をプレイすればいいのです。
「遊び」の気持でもって人生を送ればいい。
それが 「遊び」の哲学です。
いいですか、与えられた配役をしかめっ面をしてやってのけるのは、あんがい大根役者です。
大根役者というのは、まじめすぎる役者です。
まじめすぎると、演技がこちこちに なってしまいます。
小学生の学芸会は、みんなまじめに演じています。
もう少し肩の力を 抜いて、楽しくプレイをしてください。といっても、それはなかなかむずかしいですね。
楽しくのびのびと演技ができるのは、よほどの名優ですね。
わたしたちはどうしても、まじめに力をこめて演技をしてしまいます。
しかしですね、わたしたちは仏のシナリオを演じているのです。
そして演出家の仏は、それぞれの役者がのびのびとプレイすることを求めておられます。
その演出家の要望にわれわれは応えなければなりません。
だから、力んではいけないのです。
力まずに、ゆったりと、のんびりと、「遊び」の哲学でもって仏からいただいた配役をプレイする。
それがわれわれの生き方です。
どうか大根役者にならないでください。
現代日本人はまじめに働いて大根役者になっています。
目的や目標に向かって驀進(ばくしん)するのがいい演技だと思っています。
でも、そのような演技は大根です。
仏のシナリオは、わたしたちが人生を「遊ぶ」ように書かれているのです。
わたしはそう思います。
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藤原東演住職は「遊び」についてこう語っている。
『「遊戯三昧(ゆげざんまい)」という禅語は、「無門関」の第一則に出てくる。
我を忘れて、無心に遊んでみないか。
仕事も、趣味も、生活でなすことも、さらには人生の運不運もすべて遊び心で生きることがすばらしい。
仕事は成果をあげなくてはならない。
「何かのため」という意味づけが不可欠だ。
ところが、遊びは何かのためにという目的がない。
その成功とか失敗なんか関係がない。
成果など計算したら、それは遊びではない。
人の評価も気にする必要がない。
ただやることが面白い、楽しいからやるのである。』(禅、「あたま」の整理/知的生きかた文庫)より
「人生はひとつのゲーム、人生を楽しみなさい。」( マザー・テレサ )
それを、今東光和尚は、「人生とは、冥土(めいど)までの暇(ひま)つぶし』といった。
遊びも、ゲームも、暇つぶしにも、目的はない。
目的地を定めない「旅」が本当は一番楽しい。
なぜなら、旅の楽しみは、どこへ行くかよりも、誰と一緒にいくかの方が大事だからだ。
楽しい仲間と一緒なら、どこへ行っても楽しい。
斎藤一人さんは、それをこういう。
『旅とは、目的地へ行くことではないんだよ。
だから、目的地をかえたって別にいいだよ。
道中を楽しむことが「旅」なんだから。』
人生という旅もまた同じ。
道中を楽しむことが、人生を「遊ぶ」ということ。
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