人の心に灯をともす 5641 財産としての年月
【財産としての年月】5641
渡辺和子氏の心に響く言葉より…
最近出合った言葉の一つで、深く心に残ったものがあります。
「私から年齢を奪わないでください。これは、私が年月をかけてつくった財産なのですから」
こういう、すてきな言葉が出せる人になりたい、また、こういうことがいえるような歳の取り方をしたいものだと、つくづく思ったことでした。
私自身も、実は、かつて次のようなことをメモに書いています。
「時間が、どうしようもなく過ぎた後に、"老い”だけが残るというような生き方はしたくない」
どんな時に、何がきっかけとなって、こんなことをメモしたのか、今では覚えていませんが、冒頭の言葉が心に残ったのは、この二つのセンテンスの間に、何か共通する思いがあるからなのでしょう。
"財産"とみなし、いとおしく思えるような命の過ごし方というのは、決して不幸や苦しみと無縁の人生を指すのではなく、人生で出合う一つひとつのことを、 ていねいに、自分らしく受けとめ、自分の”もの”としてゆく生き方のことだと思うのです。
ミヒャエル・エンデは『モモ』という本の中で「人間は、自分の時間をどうするか、自分で決めないといけない」といっています。
かくて私たちは一生の終わりに、「何と私の人生はつまらないものだったか」と不平を言う権利を持っていないことになります。
なぜなら、人生をつまらないものにしたのも、意味あるものにしたのも、すべて、自分の責任だったからなのです。
「時は金なり」というほどに、時間には、お金を生み出す時間もあれば、お金に換算できる時間もあります。
このような時間も重要ですが、真に「私の財産」と呼ぶことができる時間は、自分の魂を豊かにするものであり、永遠の世界につながるものを指すものではないかと思うのです。
なぜなら、「一生の終わりに残るものは、我々が集めたものではなくて、我々が与えたものである」からなのです。
私たちは、「ただ老いる」だけの日々を送りたくないものです。
「ただ働く」だけの日々でもなく、生活の随所に愛をこめ、意味を見出し、自分しか作ることのできない、“財産”としての毎日を過ごしたいと願っています。
『目に見えないけれど大切なもの』PHP文庫
https://q.bmd.jp/91/119/253/__no__
我々が今まで過ごした年月を、「財産」とするのか「つまらない時間」とするのかは、すべて自分にかかっている。
人や環境のせいにはできない。
それは、自分が選択した、たった一度の人生だからだ。
森信三師のいう「人生二度なし」だ。
そして、その証(あかし)は、人に与えたものによってはかられる。
なぜなら、自分がきずいた財産も、肩書も、役職も、あの世へはもっていけないからだ。
この世に残せる唯一のもの、それが「人に与えたもの」。
楽しかったこと、うれしかったこと、しあわせ、感謝、あるいは、悲しみやうらみ、といった人に与えた思い出だけが残る。
だからこそ、「悲しみ」ではなく、「喜び」や「感謝」などの良き思い出を人の心に残すことが、我々の日々のつとめであり、なすべきことといえる。
財産としての年月になるよう…
日々、悔(く)いのない人生をおくりたい。
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渡辺和子氏の心に響く言葉より…
最近出合った言葉の一つで、深く心に残ったものがあります。
「私から年齢を奪わないでください。これは、私が年月をかけてつくった財産なのですから」
こういう、すてきな言葉が出せる人になりたい、また、こういうことがいえるような歳の取り方をしたいものだと、つくづく思ったことでした。
私自身も、実は、かつて次のようなことをメモに書いています。
「時間が、どうしようもなく過ぎた後に、"老い”だけが残るというような生き方はしたくない」
どんな時に、何がきっかけとなって、こんなことをメモしたのか、今では覚えていませんが、冒頭の言葉が心に残ったのは、この二つのセンテンスの間に、何か共通する思いがあるからなのでしょう。
"財産"とみなし、いとおしく思えるような命の過ごし方というのは、決して不幸や苦しみと無縁の人生を指すのではなく、人生で出合う一つひとつのことを、 ていねいに、自分らしく受けとめ、自分の”もの”としてゆく生き方のことだと思うのです。
ミヒャエル・エンデは『モモ』という本の中で「人間は、自分の時間をどうするか、自分で決めないといけない」といっています。
かくて私たちは一生の終わりに、「何と私の人生はつまらないものだったか」と不平を言う権利を持っていないことになります。
なぜなら、人生をつまらないものにしたのも、意味あるものにしたのも、すべて、自分の責任だったからなのです。
「時は金なり」というほどに、時間には、お金を生み出す時間もあれば、お金に換算できる時間もあります。
このような時間も重要ですが、真に「私の財産」と呼ぶことができる時間は、自分の魂を豊かにするものであり、永遠の世界につながるものを指すものではないかと思うのです。
なぜなら、「一生の終わりに残るものは、我々が集めたものではなくて、我々が与えたものである」からなのです。
私たちは、「ただ老いる」だけの日々を送りたくないものです。
「ただ働く」だけの日々でもなく、生活の随所に愛をこめ、意味を見出し、自分しか作ることのできない、“財産”としての毎日を過ごしたいと願っています。
『目に見えないけれど大切なもの』PHP文庫
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我々が今まで過ごした年月を、「財産」とするのか「つまらない時間」とするのかは、すべて自分にかかっている。
人や環境のせいにはできない。
それは、自分が選択した、たった一度の人生だからだ。
森信三師のいう「人生二度なし」だ。
そして、その証(あかし)は、人に与えたものによってはかられる。
なぜなら、自分がきずいた財産も、肩書も、役職も、あの世へはもっていけないからだ。
この世に残せる唯一のもの、それが「人に与えたもの」。
楽しかったこと、うれしかったこと、しあわせ、感謝、あるいは、悲しみやうらみ、といった人に与えた思い出だけが残る。
だからこそ、「悲しみ」ではなく、「喜び」や「感謝」などの良き思い出を人の心に残すことが、我々の日々のつとめであり、なすべきことといえる。
財産としての年月になるよう…
日々、悔(く)いのない人生をおくりたい。
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