人の心に灯をともす 5706 自分にはそんな力はありません
【自分にはそんな力はありません】5706
小林正観さんの心に響く言葉より…
相談される人に重要なことですが、すべての相談者の悩みに同化して浸り込んでいったら、多分大変だと思います。
私は、年間3万人ほどの人とお会いしますから、どんなに大変な悩みを抱えている人が現れても、淡々と「で、何が問題なんですか?」と言えないと、ノイローゼになってしまうでしょう。
皆さんも、人から相談を受けることがあると思いますが、ひとつ覚えておいていただきたいことがあります。
仏教には、大乗(だいじょう)仏教と小乗(しょうじょう)仏教 (上座部仏教)があります。
大乗仏教というのは、大きな乗り物を意味し、 困っている人、苦しんでいる人を救済して、 たくさんの人を乗せて彼岸へ行きましょう、という考え方です。
一方、小乗仏教は、小さな乗り物ということですから、自分が悟ればそれでよし、と考えます。
もともと釈迦は小乗仏教的な考えをしたと思われますが、釈迦が死んで500~600年経つと、大乗仏教といううねりが起き、それが中国に伝わり、のちに日本に伝わって、日本は大乗仏教国になりました。
大乗仏教の広く救うという考えが浸透した結果、私たちは、目の前に問題を抱えた人がいたり、辛そうな人が現れると「解決してあげなくちゃ」と思い込むようになってしまったようです。
こうした傾向は、人生相談を受けるとき、確かによく表れていて、相談者の98%が自分以外の人のことで悩んでいます。
自分が今こういう状態で困っている、というのは、100人に2人ぐらいで、 あとは「夫がこうだ」「妻がこうだ」「子どもがこうだ」「友人がこうだ」という、 自分の外側にいる人の悩み苦しみや社会の矛盾を、あっちこっちからクマ手でかき集めているように思います。
その人たちのことを心配した結果、ご本人はまったく笑顔ではありません。
基本的なことを言いますと、私たちができるのは、まず、自分が笑顔になること、自分が太陽になることです。
その向こうにいる人の悩みは、自分のことではないのですから、解決できなくて当たり前で 「私たちにそんな力はない」と思い切ったところから、ものすごく楽な人生が始まります。
しかし、自分が太陽ではないのに、「周りを明るくしてあげなくちゃ」という人が大半です。 まず、自分が明るく幸せな人になりましょう。
それが、私の言う“実践”です。
この提案は、小乗仏教でとどまりなさい、ということではありません。
小乗仏教的な考え方で、明るく素敵に生きている人は、長い目で見ると、結果として周りにいい影響を与える可能性があるということです。
私は、小乗仏教的に生きています。
だから、ものすごくラクに生きています。
自分は何も背負っていないし、世の中を変えようとも思っていません。
ただ、〈実践的に生きる〉ようになっただけです。
あなたが、笑顔の素敵な〈太陽さん〉になって、ひたすら幸せな光を投げかけていけば、周りの氷は自然に溶けていくでしょう。
そういう溶かし方を取り入れることにしませんか。
『神さまに好かれる話』知的生き方文庫
https://q.bmd.jp/91/119/1369/__no__
「商店街の活性化をしよう」とか「町おこしをしよう」という話がある。
しかし、「商店街」とか「町」といった途端に話が大きくなり、個別の具体策は何も出ず、結果的に小さなイベントをして終わり、というのがほとんどだ。
つまり、他人事で終わってしまうということ。
それが、まさに、大乗仏教的な考え方。
そうではなく、「町に、自分が楽しんで、面白い店やコミュニティをつくる」とか「人に喜んでもらう楽しい場所(サードプレイス)づくりをする」と言ったらそれは自分事。
町をどうこうしようというのではなく、自分が光って輝く太陽となる、という話だ。
そんな店やコミュニティがいくつもできてきたら、町の活性化を目的としなくても、結果としてそれが町の活性化となる。
町の活性化とはあくまで結果なのだ。
それが、小乗仏教的な考え方。
同時に、よく人の相談にのめり込み、一緒になって泣いたり、憤慨したり、落ち込んだり、テンションが下がりっぱなしになってしまう人もいる。
相手に共感しすぎて、自分まで病気になってしまうような人だ。
それが大乗仏教的な人。
そうではなく、相手の悩みや、相談など、自分のことではないので、解決できなくて当たり前で、「自分にはそんな力はありません」と思い切ること。
そして、自分が楽しそうに、面白おかしく、笑って、明るく生きること。
人に教えさとすのではなく、まずそれを自分が実践すること。
それが、小乗仏教的な人。
「自分にはそんな力はありません」と…
小乗仏教的に生きる人でありたい。
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小林正観さんの心に響く言葉より…
相談される人に重要なことですが、すべての相談者の悩みに同化して浸り込んでいったら、多分大変だと思います。
私は、年間3万人ほどの人とお会いしますから、どんなに大変な悩みを抱えている人が現れても、淡々と「で、何が問題なんですか?」と言えないと、ノイローゼになってしまうでしょう。
皆さんも、人から相談を受けることがあると思いますが、ひとつ覚えておいていただきたいことがあります。
仏教には、大乗(だいじょう)仏教と小乗(しょうじょう)仏教 (上座部仏教)があります。
大乗仏教というのは、大きな乗り物を意味し、 困っている人、苦しんでいる人を救済して、 たくさんの人を乗せて彼岸へ行きましょう、という考え方です。
一方、小乗仏教は、小さな乗り物ということですから、自分が悟ればそれでよし、と考えます。
もともと釈迦は小乗仏教的な考えをしたと思われますが、釈迦が死んで500~600年経つと、大乗仏教といううねりが起き、それが中国に伝わり、のちに日本に伝わって、日本は大乗仏教国になりました。
大乗仏教の広く救うという考えが浸透した結果、私たちは、目の前に問題を抱えた人がいたり、辛そうな人が現れると「解決してあげなくちゃ」と思い込むようになってしまったようです。
こうした傾向は、人生相談を受けるとき、確かによく表れていて、相談者の98%が自分以外の人のことで悩んでいます。
自分が今こういう状態で困っている、というのは、100人に2人ぐらいで、 あとは「夫がこうだ」「妻がこうだ」「子どもがこうだ」「友人がこうだ」という、 自分の外側にいる人の悩み苦しみや社会の矛盾を、あっちこっちからクマ手でかき集めているように思います。
その人たちのことを心配した結果、ご本人はまったく笑顔ではありません。
基本的なことを言いますと、私たちができるのは、まず、自分が笑顔になること、自分が太陽になることです。
その向こうにいる人の悩みは、自分のことではないのですから、解決できなくて当たり前で 「私たちにそんな力はない」と思い切ったところから、ものすごく楽な人生が始まります。
しかし、自分が太陽ではないのに、「周りを明るくしてあげなくちゃ」という人が大半です。 まず、自分が明るく幸せな人になりましょう。
それが、私の言う“実践”です。
この提案は、小乗仏教でとどまりなさい、ということではありません。
小乗仏教的な考え方で、明るく素敵に生きている人は、長い目で見ると、結果として周りにいい影響を与える可能性があるということです。
私は、小乗仏教的に生きています。
だから、ものすごくラクに生きています。
自分は何も背負っていないし、世の中を変えようとも思っていません。
ただ、〈実践的に生きる〉ようになっただけです。
あなたが、笑顔の素敵な〈太陽さん〉になって、ひたすら幸せな光を投げかけていけば、周りの氷は自然に溶けていくでしょう。
そういう溶かし方を取り入れることにしませんか。
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「商店街の活性化をしよう」とか「町おこしをしよう」という話がある。
しかし、「商店街」とか「町」といった途端に話が大きくなり、個別の具体策は何も出ず、結果的に小さなイベントをして終わり、というのがほとんどだ。
つまり、他人事で終わってしまうということ。
それが、まさに、大乗仏教的な考え方。
そうではなく、「町に、自分が楽しんで、面白い店やコミュニティをつくる」とか「人に喜んでもらう楽しい場所(サードプレイス)づくりをする」と言ったらそれは自分事。
町をどうこうしようというのではなく、自分が光って輝く太陽となる、という話だ。
そんな店やコミュニティがいくつもできてきたら、町の活性化を目的としなくても、結果としてそれが町の活性化となる。
町の活性化とはあくまで結果なのだ。
それが、小乗仏教的な考え方。
同時に、よく人の相談にのめり込み、一緒になって泣いたり、憤慨したり、落ち込んだり、テンションが下がりっぱなしになってしまう人もいる。
相手に共感しすぎて、自分まで病気になってしまうような人だ。
それが大乗仏教的な人。
そうではなく、相手の悩みや、相談など、自分のことではないので、解決できなくて当たり前で、「自分にはそんな力はありません」と思い切ること。
そして、自分が楽しそうに、面白おかしく、笑って、明るく生きること。
人に教えさとすのではなく、まずそれを自分が実践すること。
それが、小乗仏教的な人。
「自分にはそんな力はありません」と…
小乗仏教的に生きる人でありたい。
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