人の心に灯をともす 5854 いくつになっても変化し続けること

【いくつになっても変化し続けること】5854



城山三郎氏の心に響く言葉より…



『花伝書』の中で、私が一番ピンと来た言葉は、

「住(じゅう)する所なきを、先づ、花と知るべし」

という定義でした。


現状なり考え方に安住しない。

あぐらをかいたり、決して満足したりしない 日々を新しく生きる。

心を常に新しくしておく。

そんな心の赴くまま、知らない道へも踏み込んでみる。

そういう姿勢にこそ、花があるのではないでしょうか。


夏目漱石が愛読したイギリスの作家にローレンス・スターンがいますが、彼は、 「形式に拘(こだわ)るには、人生は短すぎる」 と喝破(かっぱ)しています。

スターンは、「自分はこんな性格だから」とか、「何歳だから」「人の目があるから」とか、人間を規制する全ての器を形式と呼んでいるのですが、私もこの言葉通り、 自然な心のまま、どんどんやっていけばいいんだと思うようになりました。

老後ほど、ますます形式に拘る必要がなくなるわけです。


老後ほど、自由になれる。

やはり、老年にしか咲かない花ってあるのでしょう。


以前、『黄金の日日」という小説を書いている時に出会ったのですが、戦国時代の自由都市・堺の人々は、こんな小唄を好んだといいます。

「なにせうぞくすんで 一期は夢よただ狂へ」

戦国の頃に成立した歌謡集『閑吟集』に収められているものだそうですが、権力に阿らず、独立独歩で、新しい世界へ踏み出そうと情熱を燃えたぎらせる堺商人の気質をよく伝えていますね。


私は目が洗われる思いで、この歌を口ずさんだのを覚えています。

口ずさむと、何だかリフレッシュされたように、心がたかぶります。

そう、歳をとっても内面までくすんでいる必要はない。


いや、年齢の話だけではありません。

窮屈な時代、苦しい社会、厳しい状況に生きているからこそ、時には狂うこと、他人の目からは狂って見えるようなことへ身を投じることも必要なのではないでしょうか。


『よみがえる力は、どこに』新潮社
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「花伝書」を書いた世阿弥(ぜあみ)は、およそ700年前の室町前期の能役者だ。

「住するところなき」とは、そこに留まり続けることなく、という意味だ。

一箇所に留まるのではなく、常に変化し続けること、新しいことを求め続けることこそが花だ、という。



人生の後半生を過ぎると、大小さまざまな拘(こだわ)りができる。

「ねばならぬ」という思い込み。

世間のしがらみ。

さまざまな執着。



居心地のいいコンフォートゾーンに安住してしまうのだ。

しかし、コンフォートゾーンに留まる限り、「新しいこと」や「初めてのこと」を体験することはできない。

いくつになっても、変化すること。


そのためには・・・

時として、狂っているように見えることへ身を投じることも必要だ。





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